My logbook : 屋久島方丈記 
Home > backnumber目次 > 記事  
  日誌編  ・ 偏見ご免のたわごと編  
  たわごと編: No.107  
  2012.06.11 生活保護と扶養義務  
 
  5月だったと思うが、お笑いタレントが高額収入を得られるようになってからも親が生活保護を受けていたことが指摘されてそのタレントが謝罪会見したニュースが流れた。TVなどではそれに関連して政治家が扶養義務が三親等まであるということを強調して生活保護制度が安易に運用されていることを指摘していた。私は三親等までの義務強化の言い分にちょっと違和感がある。

扶養義務については、民法(明治29年法律第89号)で直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務があると規定されていて、特別の事情があるときは家庭裁判所が三親等内の親族間においても扶養の義務を負わせることができるということになっているらしい。また、生活保護法(昭和25年法律第144号)では民法(明治29年法律第89号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助はすべて生活保護法による保護に優先して行われるものと規定されているらしい。それで政治家は三親等までの義務を強調する発言をしていたものと思われる。

明治29年のころの日本は大部分の家族や一族が近くに生活していたり家長制度でこどもの誰かが親を養う状況が一般的だったのではないかと思われる。今の時代に、明治29年時代の生活形態が維持されているとは思えない。昭和25年ころは今の時代の先駆け時代と思われるが、将来も今までと変わらないと見て明治29年からの家族関係についての考え方を変えなかったみたいである。

戦後の新たな憲法の民主政治のもと復興と高度な経済成長を追求する中、政治は核家族化を推進する政策をとってきた。独立し実家や故郷を離れたこどもは新たな世帯を形成しその家族を養わなくてはならない。一緒に住んでいれば可能かもしれない扶養も互いに離れた2世帯分となればかなり厳しくなる。経済成長が期待できないいまの時代更に厳しくなっていると思われる。その厳しさが来ると想定した対策を考えず核家族化が推進された結果がいまの状況だと考えられなくもない。私は扶養義務強化のはなしを聞いてなんとなく反発を感じているのは、政治の責任もあるのにそれを棚上げしているように感じるからである。

なお、上記では法律の扶養義務に関連しそうな部分だけを見ての話しだが、実際の生活保護法の規定全般では、扶養義務者の扶養は保護利用の要件ではなく、子供の親に対する扶養義務も社会的地位にふさわしい生活を成り立たせた上で余裕があれば援助の程度や内容を合意して果たすべきものだとの規定になっているらしい。そうであればお笑いタレントを非難した政治家は感情論あるいは何らかの思惑から言い出したみたいに見え、行政と相談の上親が保護を受けていたのだと言うお笑いタレントに社会常識的にはそれで良かったかという疑問は残るが法律的に非は無さそうに思える。

ところで生活保護の制度の実態についての感想としては、支給額(医療費その他の付随する援助額を加味した実質的支給額)が高すぎる感じがしている。生活保護の対象判定基準で現実に落とされ保護されないひと達の最低収入を下回るようにしないとおかしい感じがする。私は満額支給でない国民年金支給額いくらくらいまでが生活保護の対象でないのかに関心があるし、生活保護を受けずやっとこ生活しているひと達が自分たちの収入と見比べて他のひとの収入がどれくらいなら生活保護対象と認め納得するものなのかに関心がある。つまり憲法に言う健康で文化的な最低限度の生活のあり方について関心がある。資産を保有しているひとは別にして、生活保護を受けているひと達より低い収入のひとがいないあるいは世帯がない国というのが、本来の生活保護のあり方だとすれば今の実態はおかしいかも知れないと思うからである。

(関連記事)
屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
     No.246  最低でものこと  [2007(H19).06.18]

..
 
 
back
「My logbook : 屋久島方丈記」は、「 My logbook : 屋久島生活の断片」の
日誌編 と 偏見ご免のたわごと編 の 継続版です。
My logbook : 屋久島生活の断片」の ご案内
日誌編 と 偏見ご免のたわごと編 (2010.05.31までの記事)
屋久島釣り場案内
妻関連の「SpinCom」と「SpinCom Gallery」