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  たわごと編: No.97  
  2012.04.02 疑いながら見ている悩ましさ  
 
  福島原発事故が発生してから政府が状況を過小に説明していたことはもう誰でも知っている。国民をパニックに陥らせないためだと弁解しているが、あとでその事実を知った国民はいままでなくしかけていた政府に対する信頼をさらに低下させてしまった。私としては、事実はそのまま伝え、その状況に納得できる説明のもと対応・措置がなされれば、いかにその事実が衝撃的なものであっても国民は受け止めたはずだと思っている。

政府が国民のためを思って衝撃を与えず優しく対応しようということだったと善意に解釈したとしても、その後の経過とそれがもたらす結果が政府の言っていたことと異なってしまったら、国民に残るのは政府の誠実さへの不信感である。これは政治家についてだけのことではない。原発とその推進・危機管理などに関わる官庁・官僚、科学者・学会、業界・財界のいままでの不誠実さも明らかになっている。原発の安全神話に加担して危険情報の事実から目を逸らし、悪い情報を無視して知らせず、それを無いものと思わせて国民に甘い夢を見させて来たのである。

誠実に本当のことを議論の俎上に乗せて、その議論の結果として納得できる実施計画が推進されていたなら、万一事故が発生しても今回ほどの政府・政治家、官庁・官僚、科学者・学会、業界・財界への不信感は生まれなかったし、事故の規模も小さくて済んだのではないかと思われる。彼らは誠実さが欠けていた。多分その理由は国民への優しさではなく、自分たちがやれば問題は起きないという傲慢さと原発を推進することによる利権、名声、権力や保身などにあったということのようである。国民に甘い夢を見させて、そしていまその夢はうそだったと分かってしまった。

こういうことは原子力に限ったことではない。意識的にあるいは意識せずに親切あるいは誠実と見せて邪悪なことをするものは、政府・政治家・官庁・官僚、科学者・学会、業界・財界に限らず普通の個々人でもいる。ある本の帯で邪悪な人とはというのを見たことがある。曰く、自分には欠点がないと思い込んでいる。異常に意思が強い。罪悪感や自責の念に耐えることを絶対的に拒否する。他者をスケープゴートにして、責任を転嫁する。体面や世間体のためには人並み以上に努力する。他人に善人だと思われることを強く望む。このような人は巧妙に責任転嫁をしたり隠微なうそをつくということである。

自分の個人的人間関係で出会ううそやごまかしについては大方はお見通しの上で優しくという生き方で自分の暮らしに影響はないのだが、こと自分の生活だけでなくこれからの孫子の生活にまで影響する問題となるとそういう訳にはいかない。いま私が関心を持っている国家的はなしとしては、社会保障と税の一体改革のもとになっている財政破綻懸念についてである。かつて宮沢元首相は財政は既に破綻しているとインタビューで答えていた記憶がある。

既に見えないようにしながら破綻処理計画が進められているのかも知れないが、もしそうなら私は早く国民に本当の状況はこうだと説明し覚悟を迫って欲しいと思っている。豊かさ気分の名残りに国民を浮かれさせたままにしておいて、突如破綻したから衝撃的な処理モードに突入すると言われるよりましである。いまの状況でそれが発揮されているのかいないのか知らないが、政治家や官僚に老獪さは必要である。彼らがそれを発揮して本当に国民を良導しているなら言うことはないのだが、結果が出た暁に国民が彼らの言い分ややってきたことの中に不誠実・邪悪さを感じてしまったら虚しいことになる。


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