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妻はむかし曽野綾子の本を何冊か読んでからその生き方というか考え方に共鳴していて以来出版されているほとんどの著書を読んできている。わが家にほとんどの本がある特定の作家と言えば曽野綾子である。そこで私もそれらをほとんど読んでいる。そして先月妻が上京した折には曽野綾子の「老いの才覚」という新書版の本を買って読んだということで私もそれを読んだ。
年を重ね老人の部類になった時の心得みたいなことが著者の意見として述べられているのだが、宗教がらみの意見や人との付き合いについての意見など自分の感覚と違う感じがするところもあるが、大方は私も実践していたり考えたりしていて共感する内容である。
私が読んでの感想は、これは老人になりかかったた私あるいは私たち夫婦が読むのではなく、例えば子供たちとかあるいは関係のあるまだ老人に間がある元気なものに読んでほしいということである。自分たちの考え方とか行動について理解してもらうには良いかなという気がしたのである。
近親のものなどに自分たちの考え方とか行動について説明しようとしても、彼らの思い込みや思考形態に合わないとこちらの言うことを最後まで聞いてやろうとか真意を理解しようかというような雰囲気にはならないことが多い。そこで親や大人としての私たちの考え方や生き方についての見方のヒントにしてもらうと助かる気がしたのである。
本についての感想は以上である。はなしは変わるが最近ニュースサイトである記事を見た。女性のはなしを聞いていてこの女は性格が良くないと思う言葉について、男性の意見を集めたもので、うち上位8件が出ていたのだが、1)仲がいいはずの友達の悪口を言う、2)気がつけば愚痴ばかりこぼしている、3)どんな話題でも自分のほうに引き寄せようとする、4)機嫌が悪くなると黙り込む、5)相手によってあからさまに態度を変える、6)感謝の言葉を嫌味として受けとる、7)自分に落ち度があっても人のせいにする、8)人を見下した言動をとる、だったということである。
これらは女が性格が良くないと男から思われる言葉というだけではなく、老若男女の区別なくあまり感心しないことである。こういう言葉も人の考え方とか生き方の発露だから、そういう言葉を発することも「老いの才覚」の戒めに通じることだと思い当たるわけである。私はそのような他人の言葉にはきびしいところがある。特に3)、4)、5)、8)などについては人を判断する材料にしているくらいに敏感である。妻には過敏だと言われたりする。そういう言葉を発しないことはもとより、そういう言葉にリアクションしないことも「老いの才覚」の戒めとしなければと反省しているところである。
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