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無風に近い中での のどかな野焼き風景 |
わが家の窓から見えた漂う
野焼きの煙の一例 |
野焼きをするのは、農村では避けられない。風の強い日にやられると原野火災になる恐れがあるから、それに留意してやってくれれば文句を付ける筋合いはないと思っている。しかし結構臭いはする。草木を燃やしているにしては、なんとなく電線の焦げたような臭いや家の材木が焦げているような臭いがするときがある。それも風が弱く近くに煙も見えないのに臭ってくるときがある。
そういうときには、火事だったら大変とわが家の周りを調べ、それから近所の家の方も異常ないか眺め、それから遠くの方を眺め渡す。遠くに煙が見えれば野焼きだからと納得する。隣の集落の方の煙もあるから、風向きによってはかなり遠くから臭ってくるものである。煙が見えず周囲の様子も変わらないときも、大体は野焼きだろうと思って臭いに害はなかろうと我慢する。
だが、少々気になるときもある。朝夜明けと同時くらいに臭ってくるときや、夕方暗くなって臭ってくるときである。そんなに早くあるいは遅くなって農作業はしないだろうからと不審である。私の思うところ、禁じられているので朝早くとか夕方遅く人に気づかれないように、家庭ゴミを燃やしているところがあるのではないかということである。
どうもそうではないかと思う証拠はある。風の弱い日にやっているので大丈夫と思っているのかもしれないが、紙らしきものが燃えて灰になった破片が風の強い日にわが家の庭に飛来したことがあるのである。庭木の剪定くずは堂々と燃やしてよいのだが、家庭ゴミは燃やすと有害ガスが出るなどで禁じられるようになったはずである。
今までは、有害と思っていなかったものが有害と分かったのだから、ただの野焼きの臭いと違ってゴミを焼いた臭いは嗅ぎたくない。いわゆる野焼きをしていることが分かって臭ってくる臭いは我慢するが、ゴミ焼きかもしれないと思うような場合は誰がやっているのかと腹立たしい。一般家庭でのゴミ焼きや、どこかから何か焼けているような臭いがしてくることに神経質になっている。朝夕の食事時には特に不快なものである。
No.46 野焼きのこと(1) (H13.04.02)