屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.334 マニフェスト選挙のこと  [H22(2010).03.08]

私はマニフェスト選挙には違和感を持っている。外国語でマニフェスト、マニフェストと言えばすごいと錯覚してその語だけが一人歩きして果てはマニフェストは金科玉条侵すべからずというような論調さえ見られたのである。私が思うにマニフェスト選挙というのは今までの日本の政治状況を見た感じでは政権を執っていた与党しか出来ないのではないかと思う。万年野党は政府内の現実情報に精通していない。それで具体的な政策を約束するマニフェストは無理である。与党と同じ現実情報を持っていてその解釈や課題解決の戦略戦術の違いから与党とは異なるこういう具体的政策を採るというマニフェストでない限り、与党になって現実情報に接したら思っていた前提条件が成立せず政策変更ということになる。

与党に及ばない情報環境の中で、野党がまず示すべきは政策を立案するに当たっての基本的な考え方である。こういう問題はこういう風に捉えている。だからその解決にはこういう方針で臨み方向性はこうである。というようなことである。具体的数値などをちりばめても政権を執ったらその前提が崩れていたと分ることはあるのである。さらには突発的な状況で信頼できる政治判断をしてくれる可能性の程度も基本的な考え方によるはずである。その程度も推測・判断できるくらいの内容でなければならない。

私が野党についてはあえてマニフェストが第一と言わないのは、マニフェストを実現可能な具体的数値目標などを持った政策項目の提示だという錯覚が世の中にありそうだからである。本来のマニフェストという語はそういう意味合いなのかもしれないが、現状日本では不確かな情報の上に作られていたことが露呈している。マニフェスト選挙というのは煽り言葉であったということである。本来の意味でマニフェスト選挙が目指していた本質の変革活動は外国語で格好良く言う流行語作りに終わってしまった感がある。

ということで現状、野党が現実に適合していない選挙マニフェストで政権を執って政府の現実情報に接したら具体的項目の当初想定具体実施案を変更するのは止むを得ないことである。与党になったら何でもかんでもマニフェストどおりと言ったり、野党になったら言うこととやることが違うマニフェスト違反だと批判するのでは国会はいらず行政執行も官僚だけでよいと言っているようなものである。

いわゆるマニフェスト選挙の問題は別にあって、野党が選挙のときに基本的な考えはこれこれで例えば今後想定される政策分野についてはこういう方針あるいは方向性で臨みますということを示さないでいたのに、政権を執ったら与党絶対多数をバックに勝手放題という事態になることである。それを防ぐためには目先のことの具体案たるマニフェストも必要だが、政策の品を保証する公約・姿勢の方がまず先にあるべきだという気がしている。そしてマニフェストは変更する余地があるものと見ないといけないが、それを策定する党の公約・姿勢の方は変わってはいけない。変えるなら信を問えということである。これはまた与党にも言えることである。私としては選挙ではそういう見方で投票しているつもりである。

No.340 軽薄な約束のこと  [H22(2010).05.11]


 
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