屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.35  年賀状のこと(1) (H13.01.15)

もうむかしの会社を辞めてからかなり経つ。毎年会社でお世話になった人などに年賀状をだす。敬意や友情の念をあらわす年一度の機会である。

辞めて一年目の時は当然こちらが出す。そして返信があれば翌年もこちらから出す。返信がなければもう私には関心も懐かしさも感じていない、私の年賀状は迷惑ものだったと思い翌年は出さない。

ニ年目は前年返信のあった人に年賀状を出す。そして三年目からはニ年目に相手からも年賀状(返信でないもの)が来た人に年賀状を出す。ニ年目に返信があった人には迷惑かもしれないともう出さない。しかしそうして出さなかった相手から年賀状が届くときがある。慌てて返信を出すし、翌年は年賀状を出す。そういうことを繰り返す。私は相手を切ることができない。だから自分が出さなかった年に相手が年賀状をよこさなくなるまでこれが続くことになる。

特に敬意を持っていた人には返信しか来ないときでも続けて年賀状を出す。しかし何回か続けているうちに、迷惑ではなかろうかと思うようになりだんだん出さなくなる。

昨年は父がなくなった後なので年賀状は出さなかった。そして今年は会社関係の人については特に結びつきの強かった、そう自分が思っている人以外はださなかった。私が年賀状を出さなかった人で今年年賀状が来たのは10通くらいだった。私はその人たちに申し訳ない思いで来年からはいらぬ忖度はせずこちらから毎年出そうと決めた。

多分殆どの人は儀礼的に出す場合は昨年返信でない年賀状をもらった人(昨年の年賀状がある人のうちの)に年賀状を出すのだと思う。だからか今年は会社関係の人からの年賀状は少なくなった。

会社を辞めたり、出向したりしたとき、もとの会社に顔を出すのは一回だけにしろとなにかで見たことがある。一回目はやあどうしているなどと話をすることもある。しかし度重なると話題もない。迷惑に思われるだけであるというのがその理由である。

辞めた会社関係の人への年賀状もその趣なきにしもあらずである。こちらが尊敬や友情の念を持っていても相手が振り向いてくれないものは致し方ない。恋愛みたいなもので、告白しても受け入れる入れないは相手が決める。

それは分かっているのだが年賀状では何時ひくか躊躇することを毎年繰り返している。

携帯電話のTVのCMで犯人を警官が追いかけるのがある。犯人は止まりたい。警官に止まらんと撃つぞと言ってもらいたい。警官は犯人に止まって欲しい。でも撃つはめにおちいりたくないから止まらんと撃つぞと言えない。両者止まるきっかけがつかめず困りながら追いかけっこをする。そんな気分である。

No.166 年賀状のこと(2) (H17.01.24)


 
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