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  偏見ご免のたわごと編:  No.051
羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹いて来た_その結果がいま 2021.01.04
  昨年末ころネットで政治経済関係の記事を読んでいたら、「国民を守れない日本の法律(田上嘉一著・扶桑社新書)」という本が紹介されていたので購入し読んでみた。コロナ禍を機に国民は日本の政治がうまく機能していないのではないかあるいは政府の事態への対処がなぜ功をなさないかというようなことを考えるようになって来ていると思われるが、この本は政府や行政は法の定めるところによって対処するしかないのだが、その法の定めるところが今回のコロナ禍などの緊急事態に対処するには不備があるということを解説してくれている。

私には細かい法の論議は政治家や専門家でないととっつきにくい感じがしたが、以下細かいことはさておいて本の趣旨を自分なりに何となく読み取った気になっての私の感想みたいなものである。

今回のコロナ禍では初め政府が及び腰の感があったが、そもそも政府が非常事態宣言をしても政府が思うような対処方法を各自治体や国民に強制できないというのが根本にあるようである。そして地方自治体が勝手に定めのない緊急事態を宣言したり、定めのない措置を取る可能性について言及したりして、まず国家として政府が方針や対処を決定する前から相談もせずあるいは相談の答えを待たず公言して、何やら危ないという空気を醸し出してしまったようである。政府に意見具申すべき専門家会議あるいはその責任者も政府の判断を待たず勝手に見解を公言してそれに加担していたようである。

日本の緊急事態への対処を定める法では、緊急事態が発生したときに政府内にどういう司令塔を組織するか、そしてその司令塔責任者が政府各省関連機関をその配下に置いて直接指示命令できるようになっていない。また非常事態に備えるにあたって当然組織されているべき機関もなかったりあるいはその任に当たれるように配備されていない。だから緊急事態が発生してからどうするか考え決めてそれから動き始めるから、緊急なのに即時対応が出来ないということのようである。

災害や感染症や軍事衝突など緊急事態では、即応が求められる。平常時にそれらについてどう考えてどんな情報を収集しどんな準備をしておくか決めて実行しておかなければならないわけだが、目先にそういう事態が起こらないと思考を止めて先に進まないのが日本の現状のようである。その最たるものが憲法改正ではないかという気がする。

この際、政府があまり役に立たないと嘆くだけで済まさない方がよいのではないか。先の大戦敗戦で戦前の政治のあり方など戦前の価値観への嫌悪感から大方の国民がその羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くようになって、戦後の日本のあり方を選んで来た。それがいまに続く強い指導力を発揮させない政治のあり方で、それは国民が選択した結果だったわけである。

今回のコロナ禍という緊急事態でその問題に国民は気づいて来たと思われる。野党の大方や知識人や言論人そして国民などのなかには、いまだ膾(なます)を吹いているひと達は多数いるが、そろそろ国家あるいは政治家が国民におもねず国家国民のためになすべきことを主張し実行するのが本来の使命だと再確認する時期になって来たのではないか。緊急事態にどう備え発生時にはどう対処すべきか、そのときにいたずらに時間を浪費せず迅速に的確に対応できるよう法を整備する、そういう責任を果たして欲しい。国民を守れる法律に改正出来るものはそうして足りないものは新たに整備して欲しい。多分この本の言うところはそういうことだと思われる。


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