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  偏見ご免のたわごと編:  No.047
親を憎む_おとなになって分かるのか無償の愛 2020.12.14
  私は大体毎日曜日テレビで放送される番組、家族や親しかったひとに頼まれて離れて暮らす親族や親しいのひとを訪ねどう暮らしているか報告してくれるという番組をよく見ている。11月下旬の放送は親に頼まれが子がどうしているか訪ねるものだった。

ある経済的に恵まれたと思われる家の子らしいが、親が厳しかった、自分に優しく接してくれなかったから自分を嫌いなのだろうと思って、親を憎む気持ちになって家に寄り付く気にならなかった。そしていまの土地に惹かれ移り住んで暮らしながら自分のやりたいことを追求してそれを果たしつつある。そう自分が言っているひとを訪ねたということのようだった。

妻と一緒に見ていたのだが、中年近くになっても親を憎んでいたと言うのを聞いて、このひとは子どもを持ったことがないからかも知れないと言った。普通の親は無償の愛で子を育てている。そのひとは親がそういうことを当たり前のように思ってやっていたことに思いが至らないでいままでの年月を過ごして来たみたいだが、もし自分の子を持ち育てるときがあったなら分かるようになっていたのではないかというのが、妻の思いだったようである。

多分、親はそのひとに育てた代償を求めたことはないし、やりたいことをしているのを見守ってくれていたのではないかと思われる。そしてどうしているかと心配し気にかけているからひとに頼んでどう暮らしているか、ただ幸せに暮らしているか知りたかったのだと思われる。

私の見るところ、そのひとは自分のこと、自分の気持ちしか考えないで生きて来たのではないかという気がする。そして他人との比較でものを見る傾向が強かったのかも知れない気がする。しかし、親だって自分と同じ人間である。自分と同じように考えたり感じたりする。親は親でやりたいことややり方もある。あるいはせざるを得ないことがある。違う人間だから他家の親のするようにするとは限らない。

親は自分が考える親であることはない。子の思った通りのことを親がすると思ったら大間違いである。そういうことを知らず、考えず、自分大事で自分の気持ち、自分のことしか考えないから、親の無償の愛の中で育っても自分はどうなのよということにしか関心はなく、親の育て方や接し方が気に食わないと言って親を憎むわけである。そんな印象を持った。私に言わせれば大方は、親が自分にこうだったという思いは自分がそうだと思っていただけのお化けみたいなものだという気がしている。


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