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  偏見ご免のたわごと編:  No.020
Time to say goodbye_私の思うさよならを言うとき 2020.07.27
  その題名の歌があることは知っていたが、いつだったかサラ・ブライトマンが来日してあるテレビの報道番組に出たときにTime to say goodbyeを初めて聴いた。そしてその歌声の素晴らしさにすぐサラ・ブライトマンのそのタイトルがついたCDを購入した。CDには1997年とあるから初めて聞いたのはそのころと思われる。その後何回も聴いているが、歌詞の説明書は見ないから外国語の意味など分からない状態でただ自分なりの気分で聴いて心地よい歌声に満足していた。イタリア語だというその歌の歌詞の意味を知った今でも流れるそのときの歌詞の意味が同時的には分からないのだからその聴き方は変わらない。

最近、歌詞の意味を知ることになったのだが、その切っ掛けはときどき夜中に目が覚めてTime to say goodbyeという語句が頭に浮かぶことがあって、そういうタイトルの歌の歌詞が、その語句を思い浮かべるときの私の気分に合っているのかどうか気になって来たからだった。そしてCDに付いていた歌詞の説明書に出ている訳を読んだ。

その歌詞の訳を見て私が思ったのはそういう解釈で合っているかどうか知らないが、結ばれた二人が過去のそれぞれの自分の世界にさよならを言って新たな自分たち二人の世界へ旅立とうという歌らしいということである。私が題名だけ聞いていたころに思っていたさよならを言うとき、すなわち死にゆくときが来たときのことをうたった歌ではないことは確かのようである。

私は年とって特に最近はなにか不調を感じると死を意識することが多くなった。そういうときに頭に浮かぶのがTime to say goodbyeという語句なのだが、その歌の歌詞の意味を知る前でも知った後でもその語句を思い浮かべるとき、死に行くとき自分はどうなってどうするのかといろいろ思いを巡らしたりすることになるわけである。そしてそれに付随して私がいままでに直接出会った死のときを思い出したりすることもあるわけである。

母の死のときは、父にまだ家に帰っていてよいと言われ家に帰っていた。そして時間が経って父から来いという電話があって病院に行った。そこで父が私が来たよと母に言ったのだが、母はそのとき振り絞るような声で「もういい」と言った。それが母の発した最後のことばだった。私はそのときの言葉を思い出すたび話せるときにそばにいなかったことに悔悟の念が沸き起こって来る。

その他ひとに係わることはいくつかあるが大抵は悔やむ気持ちが残っている。だが、それらと違って心穏やかな気持ちになるのは飼い犬の死ぬときのことである。一つは30年くらい前のわが家の二匹目の犬のことである。獣医にもうすることはないと言われ死が迫って弱ってきた様子に庭の犬小屋から家の中に入れて寝かしていた。

苦しそうな息をしていたある朝、私が出勤する前に頭を撫でたらうれしそうな穏やかな顔になって息も軽くなった感じがした。そう感じただけかもしれないが安心感に満ちた穏やかな顔に私は犬の私への気持ちを知った気がした。犬はその日私が会社に行っている間に死んでしまった。いまでもその犬を思い出すと穏やかなうれしそうな顔が浮かんで来て自分も穏やかな気持ちになる。

もう一匹はわが家で三匹目の屋久島に来てから家の中で飼って8年前に12歳で死んだ犬である。お腹にこぶみたいなものが出来て手術しようとしていた矢先、そこに穴が開いて獣医師にもうこのままにしようと言われて何ヶ月か経って大分弱って来たころのことである。用を足すのに起き上がるのも気力を振り絞っている感じに見えることが続いていたある日の朝である。

私は何となく予感がして暗いうちに起床した。犬は床に敷いたバスタオルの上に横になっていた。私はそばの椅子に腰かけてその様子を見守っていたのだが、犬が穏やかなだが何となく悲しげな眼で私の目をじっと見ている。私たちは互いに見つめ合っていたのだが、そのうち私はうつらうつらしてしまった。何となく気配を感じて私が目を開けたら犬が動こうとしている。そばへ行って頭をさすっていると気持ちよさそうに目を閉じる。止めると頭を私の方に向ける。そうこうしてしばらくして犬は立ち上がって用を足したいときのように玄関の方へ向かう気配を見せた。

私はいつものように用を足したいのだと思い抱き上げて外に出て芝生の上に立たせたのだが、脚に力がなくすぐ倒れ込んでしまった。そして横になって伸びをした姿勢でウォーンと唸って深い息をしたあと息をしなくなって口のあたりの締りがなくなった。尻の穴には便がちょこっとついていた。私はこのとき犬の死に立ち会い看取ったということになるのだが、この犬の死を思い出すときは、死の直前見つめ合っていたときの犬の何か言いたげで穏やかだが何となく悲しげな眼付きの顔が浮かんで来るのである。そしてそのときが犬のTime to say goodbyeだったのではないかと思うのである。


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