My logbook : 屋久島方丈記 
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  日誌編: No.507  
  2019.03.11  屋久島移住のころといま_わが家の変わりよう  
 
 
正月平成も今年4月いっぱいで終わる。平成を振り返るテレビ番組などを見かけるようになって、私の屋久島時代のはじめといまはどうなのかと思ったりすることがあった。自然遺産登録の効果かと思われるが、移住者がどんどん増え商業施設関係が移住時とは大きく変化した。そういう動きが目立ったころは地元の雰囲気にも高揚感があった。ところがいまは最盛期を過ぎ停滞期に入ったように見える。私のそういう印象は、私たち夫婦が20歳あまり年取って活動が鈍ってきているせいかも知れない。

私たち夫婦が私の父と三人で屋久島に移住してきたのは、1995年(平成7年)1月17日(阪神の大地震の日)だった。荷物が届くまでの間一週間くらい尾之間の国民宿舎・屋久島温泉ホテルに泊まった。本当かどうか知らないが私たちが泊った部屋は1972年に当時皇太子殿下と妃殿下(今上天皇陛下と皇后陛下)が屋久島ご訪問の際に泊まられた部屋(あるいは似たような部屋かも)だと聞いたような記憶がある。それでだと思うが、その日に父(当時88.5歳、約4年半後の1999年93歳で死亡)が椅子に座っているときその部屋の写真を撮った。いまその国民宿舎のあったところにはJRホテルが建っている。

移住のため屋久島に到着したその日に撮った写真

荷物が届いてからは、いまの家で生活を始めたのだが、家の周囲の土盛りや石垣の工事を追加でやってもらって、それから庭のカヤなどの根を自分で掘り起こしたり開墾まがいの作業をした。また石を掘り起こし斜面下の土留めにする作業もした。そして庭の整地が済んでから芝を植えた。その作業で力を入れすぎたか指が開かなくなったりして、そのせいかそのあと私の手指は曲がったり節くれだってしまった。

上が20年くらい前、下が現在のわが家の庭側を見たパノラマ写真

移住したてのころは家の周りはあまり木がなく開けていた。移住して2年くらいして芝もそれなりになったころ写真を撮ったようで、それを見るとまだまだ周りは移住したてのころのように見える。そこで最近その写真と比較してみようと同じ構図の写真を撮った。写真の左が東側、前が南、右が西側である。むかしは庭全体に日が当たっていたが、風当たりは強かった。いまは東側は防風のための木が大きくなり風で家の損傷は防げるようになった一面、庭の東半分くらいは地面があまり乾かない。敷地周囲の木や庭のツツジの植え込みも大きくなって、むかしと違っていまでは開けた感じはあまりしなくなった。20年余の時間の経過を改めて感じる。

私たち夫婦の外観も大分変化があった。自分たちの写真はほとんど撮らないので証明書の写真で比べてみたのだが、家の様子と同様やはり20年余の変化を改めて感じる(現在私77歳、妻71歳、比較写真省略)。父が他界してからは夫婦ともそれなりに何かをしては楽しんで来たが、高齢になったいまは不調や痛みに悩まされること多く、これから先のことを不安に思う日々の割合が増えてきている。


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