My logbook : 屋久島方丈記 
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  たわごと編: No.333  
  2016.03.06 一票の格差問題に議員定数削減で応えるのは間違い  
 
  野田元総理が2月19日の衆院予算委員会で、首相当時の党首討論で2013年の通常国会までに衆院議員定数を削減する確約を野党・自民党総裁安倍氏がしたので解散したはずだが、それが実現されなかったということは国民にウソをついたことにならないかと非難したが、安倍首相にいなされてしまった。

2013年当時、私は野田首相が定数削減など野党党首が約束するなら解散すると言ったが、それは野田首相が政権を維持する自信がなく政権を投げ出すための言い訳にしたくて言ったのだと思っていた。解散すれば野党が勝って政権を担うという前提でその政府にやってくれと言っているようなはなしを、政権与党党首にして首相である人物が言うことに違和感があったからである。

ところで定数削減はいわゆる身を切る改革のひとつの目玉ということになっているが、いま一票の格差の解消問題と絡められている。選挙制度にはいろいろな議論はあるようだが、違憲状態と最高裁が三回も判断しているし、次回選挙で一票の格差があってよいということはないから、当面格差が2以下になるような何らかの是正措置をしたあと、死に票が多く少数意見が反映されにくいいまの選挙制度を改革する本格的議論を深めることにするしかないのではと私は思っている

私は、定数削減については消費税増税にともなって国会議員も身を切る改革が必要だとして、国民におもねるかたちで自民、公明、民主の3党が国民に約束したものという理解で聞いていたのだが、国会議員も身を切るということがなぜ定数削減なのかという批判もある。私も疑問を持っている。私は国会議員がある程度多くなっても良いと思っている。要は国民が政治家や国会運営に支払うお金の総額・シーリングの問題として考えれば良いのではないかという気がしている。議論の発端からして、国民におもねたいっときの印象操作にも似た議員定数削減ばなしは、大多数の自分が当選すると思っている議員が自分が貰えるお金は減らしたくないと言っているようにも思えるわけである。

また全国民を代表する議員の定数を削減するということは国民自身が身を切ることになるのではないかという見方をする向きもある。そう思ってみれば、いまの議員個人が身を切るわけではなく国民にツケを回したいと言っているに等しいようにも見えるわけである。私もそういう見解に賛成である。何十人も定数削減するなど血迷ったことを言って世間受けを狙っている党もあるが、玉石混交の国会議員の定数が減るとそれだけ有用な人物も減る可能性もある。それよりは定数を増やす方が国家・国民のためである。消費税増税の言い訳で議員定数を削減することはやめて、そもそもの本質的・根本的問題に一段階でも戻って選挙制度や国会運営の改革の工夫をしたらどうかと私は思っている。

ところで選挙制度については、決まって選挙しても死に票をとなった率が多い側の党派が改善を唱えることはなくならないかも知れない。いまは肯定的でも選挙に負けると文句を言い始める党派も出て来ると思われる。死に票は定数1人とすると2人立候補の場合最大で50%近くだが、例えば3人立候補の場合決選投票がなければ最大3分の2近くになるわけである。当選者得票率が50%以下だったりそのうえ上位2人が僅差だったりすると落選者側から文句が出やすい。なかなかそういう結果を常に納得させられる制度というのは作り難いから、選挙制度論議は党派間の損得をめぐる駆け引きでもめることになる。
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