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いま東大の先生をしている医用ロボットのジャンルを創ったひとのあいつバカじゃないのと言われるようでないと独創的な仕事は生み出せないと言っている本を読んだ。その中で減速発言という言葉が出てくる。新しいことをやろうとしたり提案したり何か新しいことを上手くやってしまうと上のものや周囲がそれをけなすようなこと言うことで、例えばスタート時には絶対にできないとか成功してから見せなさいと言うのや、成功後どこかで見たことがあるとか別に新しくないと言うようなことである。
私もそういうことを言われた憶えがある。提案をすると功をあせるなとか言っていることが見えないと言われたことが多々ある。他のものが思いつかないあるいは手を出さないことを仕事に取り入れてうまくいくようになったら、誰でもできるのに先駆けしたと恨みがましく言われたり自分の領域を犯しているからと言う他のやからに仕事を移管させられたことがある。
私はバカじゃないのと言われて押し通すほどのバカ度に達していなかったから、そういう経験を幾つかしてから、マンネリと言われ逆に独創的な仕事をと責められながら報告書をまとめることを念頭に置いた無難なアプローチをするようになってしまった。そしてマンネリと責められると、それまでの知識・知見を極めないと次の発想は出てこないのだと嘯いていたのだが、その本には私の言い分を裏付けるように、いままでの知識・知見を学んだ先に出てくるのがそれを超えた新しい発想だから、学びつくす努力なしに独創的な発想が出てくると思うのは間違いだとあった。
マンネリ仕事をしながらも、それをするひとがただかたちをなぞるだけに堕するか極めようとするかによって結果は異なる。私は無難に仕事をするに堕してその域に達しなかったが、その仕事を極めればそこにいままでにない達成レベルに至る新たなやり方の発想も出てくるというのは確からしい。そして独創的な仕事をしたこともないのに見かけでお前の仕事はマンネリだと言って独創的な仕事をと求めるひとも多いのだが、その発言自体が減速発言になっているかもしれないという思いはある。私の経験では独創に至る努力を知らず独創性を求めたり口にするひとは結構そちらこちらにいた感じである。
補足: 大学入試を人物本位でという愚
2013.10.13
政府の教育再生実行会議が人物本位の大学入試を提言しそうな動きがあるそうである。世の中、先人が積み上げてきた知識・知見などをもとにしてその上に新たな発展を成し遂げてきたわけである。いままでの知識・知見を知らないあるいは理解しない人間が、何か新しいことをしようとしても先人のやって来たことを繰り返すことになりかねない。基礎となる知識・知見の理解度を確かめる試験は人物本位の評価前に必要である。本文のいままでの知識・知見を学んだ先に出てくるのがそれを超えた新しい発想だから、学びつくす努力なしに独創的な発想が出てくると思うのは間違いだという考えに通じるはなしである。
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