My logbook : 屋久島方丈記 
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  たわごと編: No.162  
  2013.04.30 死ぬと言って死ななかった言説のひと  
 
  有名な評論家で深夜から朝までやるTV討論番組の司会者をしているひとがその番組を降りることになったらしいが、その理由は彼の問題でか番組企画の問題によるのかいまのところ分からない。こういう討論番組は喧嘩腰的な討論が出来そしてそれを見ることが好きなある程度年配の視聴者がいたから続いてきたと思われるが、いまどきの若者がテレビの前で娯楽的でない誰かが仕切る討論を見るかといえば、スマホなどでネットの時代にそういう人間は少なくなっているはずである。それぞれが勝手に自分の思いを発信しそれに共感するひとが多ければそれが流れを作る。喧嘩腰で言い合い説き伏せるようなことはしなくなった。もし番組が消えるとすればそれは必然かも知れない。

さて司会者の彼のことである。私は彼はあまり好みではない。彼が司会する日曜のニュース報道番組を見ていたころ総理を辞職に追い込んだ男とか喧伝されていたが、強引に発言を誘導し罠を仕掛けるような司会者は報道番組の司会者として好ましくない。自分が政治家になって言行一致で自分の思いを成果に結びつける努力もせず司会者の身で、ある一事を持って一国の政治を翻弄し自分の権威を誇示するよりは、現実に通用する総体的に最善な解・国の方策を評論家らしく世に問えばよい。しかしそういう答えは誰も出すことは難しいからそれを避けて、TV権力をバックに局所的な目に付くことを世の中のなんとか反対派とか何とか活動家同様攻撃したり論じたりするわけである。そんな目で私は見ていた。

また彼の言動に引っ掛ったことである。いつだったか奥さんが病床にあるとき、TV番組で奥さんが亡くなったら自分は死ぬと公言したことがある。奥さんが亡くなってから彼が死ぬことはなかった。そして誰彼から死ぬなと言われたので止めたとまたTV番組で言ったのである。私は奥さんが亡くなったら自分は死ぬと言ったのは、公共電波を利用して奥さんに愛のメッセージを送ったのだと思っている。

その印象はいまでも変わらないが、今回私は彼が番組を降りるというネット記事を見て、彼も言説のひとだとしたらもしかしたら自分の関係する番組への責任から奥さんが亡くなったときの自殺を思いとどまっていて、その責任を全うしたら自殺するかもしれないという気もしてきたのである。言葉の責任を追求してきた人だからそうするかもしれないと思ったのである。彼に言葉の重みを問われて辞めた総理などは、軽々しく自分は死ぬと言ったのではあるまいなと言っている気がするからである。私は死ぬのはやめて欲しいが、そのときは自分の傲慢さとずるさを世間に詫びた方がよいと思っている。
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