My logbook : 屋久島方丈記 
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  たわごと編: No.135  
  2012.11.26 たまに都会に行くと草臥れるわけのひとつ  
 
  あるブログに記事に、都会でタバコやスマホで休憩中とかバーガーなどの飲食とか、パソコン開いたりメモ取りながらの携帯など仕事がらみでとかしながら歩道脇の花壇のブロックや、店の前の階段、ビルとビルの細い隙間にしゃがんでいる人を見かけることが多い感じがするが、それは気軽に座れる場所が街にないからだろうというような記事があった。

私も上京したり鹿児島へ行くときは車ではないから歩くわけである。上京した時などは友人との待ち合わせで場所にも交通事情にも疎くなっているからかなり余裕を持って行く。そして場所を確認してから周辺をうろちょろして時間を潰すのだが、脚がくたびれてしまう。また喉が乾く。自動販売機は道端のあちこちあるから飲料を買うのだが休む場所に事欠く。店に入って金を払って用足ししたり座り場所を求めるのももったいない。気軽にちょっと休める場所がないものかと思ったものである。盛り場に遊びに来て歩き回っている若者は道端でしゃがみこんで休めるかも知れないが私くらいの歳になればそれも似合わない。

鹿児島に行くときは、用事と買い物が主である。それらの施設や店などで椅子に座って応対するようになところはいっときの休憩にもなって楽である。だが目的の店が決まっておらず、なにか面白そうな店がないかと探しながら繁華街を歩きまわったり、ちょっと離れた目的の店などに歩いて行くことを繰り返していると脚がくたびれてくる。バスや市電に乗っているときはいっときの休みだが、大体食事をしたら次の食事までの間ゆったり気軽に休めない。飲食店などに入れば休めるが、欲しくないものを休むために飲み食いするのももったいない。そう思ってあっちへ行ったりこっちへ行ったりと歩き続けるわけである。

幾つかは広場的なところがあって休めるが、都合よくそっちの方へ行き当たることも少ない。そういう場所に行ったこともあるが催し物場を兼ねていたりしてスピーカーからの音がうるさくて早々に逃げ出したこともある。何しろちょこちょこ気軽に無料でそれなりに静かに用足しをし休める適当なところが少ない。現地事情に疎いからトイレもここならと分かるデパートや店などを探して歩いて行く。ひとつの目的に集中して行動するのであれば休める場所に事欠くような思いはしないかもしれないが、ぶらり観光も兼ねるケチな旅行者には都会はなかなかくたびれるものである。

私はこの10年くらい葬式以外で都会に行っていないから、いま行けば印象は上記と異なるかも知れない。屋久島でも移住して来た当時と比べればかなり良くなってきている。屋久島は移動に車が必須だから少なくとも自分の乗っている車に座って休める。いまは公衆トイレが何箇所かできたし休み場も付いていたりする。観光施設や大きな店、公共施設にはトイレがある。それが分かっている私は今では移動で不便を感じなくなったが、いまでも都会で座れる街が求められているところを見れば、屋久島の観光客は私が都会で感じるようなことをまだまだ感じているかも知れない。
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