My logbook : 屋久島方丈記 
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  たわごと編: No.128  
  2012.10.15 私は代数より社会科が嫌だった  
 
  ニューヨーク市立大学の政治学の名誉教授が高校での初歩的代数の授業は不要だと発言したというはなしがある。アメリカでは数学ができなくて高校を退学したり大学に進学できない人がかなりいて、他の面で優れた才能を持っている人間がそれを伸ばして世に出る機会を奪っているからというのがその理由らしい。

私が高校時代嫌だったのは意味もなく暗記しなければいけないような感じを持っていた学科である。進学しようと思えばそれを避けて通れないのだが、何の役にも立たなそうなことを暗記しなければいけないのが苦痛だった。それが嫌いな理由だった。しかしそうしないと試験をパスしないからという強迫観念にかられて嫌々やっていた記憶がある。

私は特に日本史、世界史、一般社会の社会科の科目が嫌いだった。例えば歴史を知ることには興味があるのだが、何は何年と暗記しなければならないようなことが嫌いだった。大まかな時代の流れが今にどうつながってきているか分かればそれでよいという気があって馴染めなかった。社会に出てからは暗記とは関係のない歴史をどう読み解くかという類の本に興味を持ってよく読んだが、その方が自分の教養の足しになっている気がする。一般社会も用語の解的な説明が多くて暗記しなければという印象が残っている。

理科の中では、すべて暗記しなければいけないような気がしていた生物が嫌いだった。私はなにかの生物に興味を持って知りたいという気がなかったから憶えるだけのような印象が強かった。それでも憶えて単位を取ることに徹したが、大人になっても子供向けの図鑑があればそれで十分という感じである。化学は興味はあったが暗記することが比較的多い印象で、進学してから学んだ物理化学でその印象は少し変わったが高校時代はあまり好きではなかった。

それでも私は高校を退学したり進学をあきらめなくてよいように、あとで何かを見ればすぐ分かるようなことを暗記する努力をそれなりにした。進学に際しては英語・数学・国語・物理・化学・日本史・人文地理で受験した。合格はしたのでその努力は実ったのだと思われるが、暗記科目と言われるような教科内容にはいまもって嫌悪感を持っている。私が嫌いな暗記科目は多分本当は教養のもとになるものである。現状は知らないが、暗記を強要せず今後の人生に活かせる教え方が必要な気がする。

私は暗記しなければいけないことすべてが嫌いだったわけではない。数学・物理などは基本公式や原理を憶えないといけないのだが、それを利用して発展させた理論で問題を解く、それが現実の現象や課題の理解や解決に役立つという直感的な感覚があって、出来はしなかったが好きだった。憶えることが系列的に連なっているし他の教科より少なくそれに比して効用が大きい感じがして抵抗感はなかった。

社会に出て仕事を何十年かしてきたが、憶えていて役立つ知識は進学してから以降の知識などで補強されているとは言え、ほとんど高校時代の数学・物理で足りた気がする。試験のために暗記する類の知識は必要になったことはあまりない。実際の仕事では分からなかったり知らなかったものは調べればよいので、どのあたりと当たりを付ける目次あるいは索引のようなものを見つけられる知識があればよいと思われる。それぞれの分野に興味を持ち蓄積してきた先達の知識を活用できれば良いわけである。私は進学してから受けた授業では専攻学科の演習が面白かった印象がある。出来るまで帰れないので級友とともに解を求めて知識を探り応用力を絞るのだが、自分で考えるようになるのによい経験だった。
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