My logbook : 屋久島方丈記 
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  たわごと編: No.125  
  2012.10.01 いつ死んでもおかしくない歳なのに人間ドック  
 
  東洋医学では女性は7の倍数、男性は8の倍数の歳に身体が変調を来しやすいというようなことを言っているTV・CMが流れている。東洋医学というから多分歳は数えでのことだとすれば、いま私はまさにその歳に該当することになる。そしてそろそろ私の誕生日が近づいているのだが、それはまた恒例の人間ドック受診の時期が近づいているということでもある。

私達の年代は初めは35歳を超えたらがん検診しなくてはと言われて来た印象がある。その後40歳を超えたらと変わったようだが、私は40歳前からほぼ毎年人間ドックを受診してきた。母が58歳で大腸がんで亡くなったから大腸がんに神経質になってそうしてきたのだが、50歳ころ検診で大腸にポリープがありそれをとった。それは放置していたらがんになるかもしれないという思いがあって検診をしていて良かったと思ったものである。以来いろいろ老化の所見は出てくるもののがんの心配はなく過ごして来た。いま私はもう古希を超え中村仁一医師によればいつ死んでもおかしくない年代になった。それでも毎年のように人間ドックを受診している。

いつ死んでもおかしくないのに人間ドックを受診しているわけである。私のその理由を強いてこじつけるならば、一年一年を安心して過ごしたいからである。また致命的所見が出た場合それがどういうものでQOLを維持できる期限がどのくらいなのか知って最期に向けた準備をしたいからである。多分検診をしないでいて致命的症状が出てから医者に行っても寿命はは変わらないのかもしれないが、まだ死ぬ覚悟は出来ていないからか、致命的所見が出るまでにも自分の身体状況のデータを知りメンテナンスすべき事項を知ってそれなりにケア努力をしてよりよい状態で生きる時間を延ばしたいからである。そしてまたちょっと痛いとか熱あるとか胃腸の具合が悪いとかちょっとした不調時などにふと頭をよぎる死の不安に悩まされないようにしたいからである。

がんのような死も視野に入る所見が出た場合は、転移していれば手術や抗癌剤は死を早めるだけだから放置する方がよいらしいし、転移がなければそれこそ放置しておいたほうがよいらしい。そして支障が出るほどになったときそれを回避するだけの処置をとればよいらしい。いつ死んでもおかしくない年になったらそうするほうがQOL維持期間は長く寿命も延びるらしいということである。私のフォローしている医師の著作にはそう書いてあって、私はそれに納得しかかっているがまだ覚悟は中途半端である。

さて、妻の知り合いの知り合いのはなしである。しこりを感じて病院で検査を受けたのだが、そこでがんではないと言われそれで安堵し放置していたら、そのうち大きくなる気配があってまた検査したらがんと判明してしまった。悔しかったと思うがそれでも責任を感じ恐縮するその医師に最期まで見てもらったそうである。そして最期が近づいた時その若い医師にもっと勉強してくださいねと言って世を去ったということである。運命として受け入れ恨みがましいことは言わなかった人のそれが精一杯の抗議だったのではないかと妻たち知り合いは感じたそうである。

私達夫婦のあいだで病気や医者のはなしになるとよくそのはなしが出る。妻の知り合いの知り合いは初めの検査で誤診ということらしいが私は、その時正しく診断されたとしても誤診後そんなに長いことなく亡くなったということは、その時すでに転移していたはずだから結果は変わらなかった可能性があるとまで思うようになっている。しかしながら私はまだこじつけがましい理屈をこねて人間ドック受診は止められない。
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