My logbook : 屋久島方丈記 
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  日誌編 (with photo) ・ 偏見ご免のたわごと編  
  日誌編: No.66  
  2011.08.29  お経を聴きながら悔み恥じる  
 
  この8月23日は、屋久島に移住してから亡くなった父の13回忌だった。父の田舎の寺と同じ宗派の当地の寺の住職にお経をあげていただいた。参加者は私たち夫婦二人である。ささやかな法事である。こちらからは遠いこともあって縁者を呼ぶような連絡はしないし何処からの問い合わせもないから私たち夫婦以外13回忌ということに気づいた人は多分いないと思われる。縁もゆかりもない遠い田舎に移住するとこういうことになるのは承知の上だから、私たちが忘れなければそれでよしとして、当日は夫婦二人で約1時間くらい住職のお経を聴き正座にも努めて神妙に過ごした。以下お経を聞きながら私が思い出したり思ったことの説明と感想である。


父は移住してから5年して満93歳で亡くなった。70代後半に胃がんになって手術したががんもどきだったようで転移もなく死因はがんではなかった。移住前に私が父に注意をはらうようになったのは昼に家からいなくなって探して見つからず警察犬を出そうということになった夜暗くなってから自分で帰ってきた事件からである。一応帰ってきたのでまだまだ大丈夫かと思っていたのだが、そのころからいわゆる認知症が出てきていたと思われる。移住の何ヶ月か前のころ手術後定期的に通っている病院から帰ってきての報告が要領を得ない。そこで次の時私が付き添って行った。診察時聞いているとその日気にかかる細かごとを訴えるが本質的なことを訴えていない感じだった。便が出ないと言うと医師はそれでは浣腸をしましょうということになった。

トイレに入ったはよいがなかなか出てこない。大丈夫かと声をかければ大丈夫、もうすぐと言う。それを繰り返すこと2時間、さすがに変だと思って強引にドアを開けさせたら便器の上に座り込んでこっくりしている。医師にそのことを告げても心配ないでしょうといつもの薬をくれてお終いだった。病院から家に帰って数日後立ち上がるのも大変な状態になったので、今度はこどもが小さい時からかかりつけの近くの医院へ連れて行って私の見たこれまでの経緯を告げ以後見てもらえないかと頼んだら、出来るところまでやってみましょうということになった。言い方からはそんなに長く持たないような感触だった。

処置としては脱水症状があるということですぐ点滴を開始、一週間位でかなり元気になった。当時屋久島移住の準備をしていてこの状況ではどうかと危ぶまれたが数ヶ月後にかなり元気になったので、当地の医師への申し送り状をもらって移住を決行した。家に荷物が着くまでのホテル住まいで寝糞をされるなど先が思いやられたが、家に移ってからは暖かい気候が合ったのかそれから5年生きた。移住した翌々年息子がかかりつけの医院にかかったとき医師からおじいさんはどうなったかと聞かれて元気にしていると答えたら、まだ生きているのかと驚いていたということを父が亡くなった後になって聞いた。それを聞いて強引に移住したのではという負い目がなんとなく胸中にあったのだが、それが吹っ切れたものである。

亡くなる前の一年間くらいは誤嚥性肺炎の繰り返しでだんだんその間隔が短くなり、肺炎で入院し治ったと退院すると1~2週間くらいでまた入院ということになり最後の何ヶ月かはずっと入院ということにしてもらっていた。ある日誰も見ていないところで食べ物を喉につまらせ意識不明になりその後一ヶ月以上人工呼吸器で生きてから亡くなった。

まだ若くして亡くなった母については今でも亡くなる前の自分の対処の仕方を悔やむところがあるのだが、父の場合は認知症のせいか想像できないような動きを警戒しなければならずまた排便したり寝糞をして手にそれをつけて壁を伝い歩きするのを始末したりしながらもうそろそろと思うことしばしばだった。そう思ったことがいま後ろめたさとして残っている感じもある。そういうことを思い出しながらお経を聴いていた。
  
 
 
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