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  日誌編 (with photo) ・ 偏見ご免のたわごと編  
  たわごと編: No.31  
  2011.01.10 「有言実行」という言葉  
 
  自分の内閣は有言実行内閣だと宣言した菅政権の有言実行性が問われ続けている。そこで「有言実行」という言葉の使われ方が気になって、「有言実行」を調べてみたのだが故事があるわけではなく時代的には最近使われ始めた言葉のようである。元々は「不言実行」という言葉が先にあり、あとからそれをもじって作られた言葉で、「有言実行」とは、「言ったことは必ず実行すること」の意味で使われているということらしい。

その言葉が作られる元になった「不言実行」は、「あれこれ言わずに、成すべきことを黙って実行すること」という意味で、孔子が「立派な人間とは」との弟子の問いに「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う(まず、言葉を口にせずそれを実行する、その後で自分の主張をする)」と答えたことに由来するそうである。

不言実行の人は立派であるという裏には、主張をひけらかす割には実際はその言葉通りにやれない人が多いから、やたら自分が出来もしないことをひけらかす人間への戒めの意味合いがあると思われる。ここで思い出すのは、「武士の一言(武士は、一度承知したことは、約束を守って必ず実行するということ)」とか「武士に二言はない(武士は信義を重んじるので、一旦口に出して言ったことは必ず守るということ)」という言葉である。言うからにはそれなりの覚悟を持って言わなければならないと軽々しく自分が出来ないことを口にすることを戒めている言葉である。綸言汗の如し(出た汗が体内に戻らないように、一度口から出れば取り消すことができない)というのもある。

こういう戒めの意味合いから見てみると、「有言実行」という言葉は、「必ず自分が実行出来ることについてやる前にその実行を約束することであって、すなわち実行できないことは言わないこと」だと取らないといけない気がする。有言実行の人が不言実行の人より徳のレベルが上だというならばそういうことになる。やって出来ないこともあるのに「言ったことは必ず実行する」と決意表明する言葉ではないということである。

然るに、今の世に見るのは出来ないことでも実行しますと言って、それを言う自分を有言実行の人と言っている。一旦実行の前に口にしてしまったらそれを実行できなければ腹を切る、そういう責任感覚で生きている不言実行の人とは大違いである。ここで想像だが「有言実行」という言葉は、孔子言うところの「立派な人間」ではない人あるいはそういう人に追従する取り巻きが、「言わないでやる人よりも言ってやる人の方がもっと立派だ」と見せかけ宣伝するためのもので、実は「言ったことはやれるよう努力します」という人のキャッチコピーとして使い始めたのではないかという気がする。多分「有言実行」という言葉は実行力をアッピールしたい権力者におもねて作られたのではないかという気がしないでもない。

さて、自分についてのことである。私は、言うことではなくやっていることを見て人を判断せよという格言に共感しているから、不言実行寄りの感覚を持っていると思う。しかし私は黙っていてやらないことが多いし、出しゃばり口を叩いたり理屈を並べ主張したりしながら自分ではやり切れないあるいはやらないことが多々ある。やりたいこと主張したいことはあるがやり抜く力や自信がないからそうなる。そして自分が口先ばかりの小心者であることをことを自覚していながらしばしば口先だけの言葉を出してしまうのである。
 
 
 
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