屋久島生活の断片・日誌編
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No.218  数独と落語のこと  H19.05.14)

昨年から慢性中毒になったかのように途中でやめられなかったものに、ニンテンドーDSでやっていた数独というパズルがある。つい先日二つ目が終わったのだが、400問以上を終えるのに3ヶ月くらいかかった。DSを購入したきっかけは脳トレをやってみようということだったが、脳トレはやっていても一つ問題をクリアしたという達成感がなく次にやるときもまた同じようなことをしなくてはならないからどうも私の性格と合わない。そこで脳トレを続けてやる気がなくなって一つ目を昨年購入したのが数独のはじめである。

 右側に写っているのがDSと数独ソフト

 左側がiPodとそのヘッドフォン
 
iPodに落語と音楽CD100枚分は入っている
 (妻は1GBのウォークマンに
          志ん生の落語を入れている)

一問終えると、すぐ次をやりたくなる。慢性中毒になったみたいにやらないでいると何となく残っているのが気になる。ちょっと体が空いて時間があると数独に手を出してしまう。それで一つ目は一気にやってしまった感じである。問題を覚えているわけではないので同じ問題をまたやっても新しい問題と区別はつかないのだが、気分的にやってしまった問題をまたやろうという気がしない。だから一つ目をやってしまったあと、暇な時間ができると落ち着かず新しいのをしたいという気持ちが強くなった。

そこで二つ目を購入した。はじめは一つ目のときの気分を継続していたからよかったのだが、そのうちだんだん今度はやることが同じなので時間がもったいない気がしてきた。私は時間を競ってやるのは好きでないし同じことを何回もやるのも好きでない。こうやればだいたい解けるというパターンが分かった気がしてしまうと、興味が薄れてくる。でもまだ問題がいっぱい残っている。時間がもったいないと思いながらも、残りが気になって時間が空くとついつい手が伸びる。やめればよいことが分かっていながらやめられない、早くその気分から抜け出したくて最後までいってしまった。その数独の二つ目終わって、今はほっとした気分である。

次もまたやめられない話しだが、こちらは助かっていてやめられないことである。むかしはそういうことがなかったのだが、だんだん年とってきたせいか就寝するときとか眠っていて途中目が覚めたとき、なかなか眠れないことがある。そういうとき仕掛かり中のこと、解決しなければいけないことなどを考えたりしていると何でもない。

しかし特に考えることもないときは、何となく憂鬱というか不安というかいやな気分で不快である。ふとその原因が気になったときどうも体調が少しよくないとかどこかが痛いとかいうことがあって死ぬ時はどうなるのかとかいうようなことを思っているのに気付いたこともあるから、何かに集中していないとそういう不安な気持ちが無意識に出てくるのかもしれない。

私は新しもの好きなので、iPodに興味があって昨年購入した。当初は音楽を入れて聴いいていた。むかしは眠れないときには音楽CDをヘッドフォンで聴きながら寝ていたので、iPodを購入した当初は眠れないときそれで音楽を聴いていたのだが、何となく憂鬱というか不安という気分は消えない。BGMみたいに音楽が鳴っているだけだと何か他に意識が向いてしまうからと思われる。そこで誰かが就寝時落語を聞いているという記事を見たことを思い出して、落語をiPodに入れた。

眠れないときに落語を聞いていると、一席聞き終えることもあるが大体は枕の部分で眠ってしまうことが多い。いやな気分になることもない。意識はしていないのだが多分話していることを分かろうとして聴くようになる作用でいやな気分に陥ることがないのだと思われる。今では百数十席分を順に聴き回しているが、落語が常用睡眠薬みたいなものになってしまった。


 
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