屋久島生活の断片・日誌編
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No.165  聖書音読のこと H17.03.21)

ここのところ、聖書を音読してみている。文語の聖書である。聖書は買ってあったがあまり読んでいなかったものである。妻は何十年来の曽野綾子のファンで、曽野綾子の本は大体揃えている。それで私も大体の作品を読んでいる。曽野綾子の本にはよく聖書の言葉が出てくる。その影響か聖書に興味を持って、十数年以上前のこと初めて聖書を買ってみた。信仰心が起きたわけではない。何かにつけ引用される言葉をまとめて手にしたいと思ったからである。

本の音読にはリズム感のあるものがよい。
手元にある中では、読み通したことのない
聖書もよいかなと文語訳の聖書の音読を
してみている。

しかしまとめて書いてあるわけではない。そこで順次読んでみようとしたが口語の聖書だったからか読み次ぐ魅力をあまり感じない。口語でも曽野綾子の文章で解説的にこういう言葉があると書かれればその文脈の中ですんなり入ってくるが、口語の聖書自体には惹きつけられるほどの気持ちにはならなかった。

映画やドラマなどで聖書の言葉が引用される印象的な場面に出会うのだが、そういう感じがしないのである。映画やドラマなどでの引用にはリズム感がある。なぜかと思えばそれらは大体文語調の訳だからである。高校時代に習った漢文の読み下しに似て口に出して心地よいリズム感があるようだということに気がついた。

それでその後文語体の聖書を買った。しかし分厚いので本や映画やドラマなどで聖書の言葉が引用される部分が何処だかもなかなか分からない。また漢文テキストのようによいところだけ選りすぐってもいないので簡潔な感じもしないから、読み始めては挫折することを繰り返し、最近はあまり見ないようになっていた。

ところが先週のNHKのクローズアップ現代で、まったく無表情な感じの102歳の認知症の女性が音読・簡単計算のトレーニングをして数ヶ月で人と話したり自分から話したりできるようになって、用便の意思を伝えられるようになりオムツをやめて介助つきながらトイレにいけるようになった、というようなことが紹介された。簡単な計算や読み書き、考えながら手指を使う、会話をすることで老化した脳が機能再生するということである。

なるほど俳優、歌手、棋士、落語家、手指を使う職人、政治家、経営者、僧侶など老齢になっても動き回り頭を使いしゃべる環境にある人はぼけにくいようである。私はもらい物などをしたら電話はせず礼状を書くことにしている。手紙を書くのは頭と手指を使うからよいそうである。また30年以上小遣い帳もつけていて簡単な計算もしている。そこで声を出す何かを追加しようと、少しはなじみのある漢文もよいかなと思ったが、置いたままになっている文語訳の聖書音読で脳トレーニングをしてみようかと思い立ったわけである。

こういう脳トレーニングの効果の程は人によりけりだそうである。そう言われればテレビ朝日・サンデープロジェクトのT氏も最近は番組で言おうとしていた名前とか言葉をなかなか思い出せないことがある。朝日ニュースター・パックインジャーナルで時々見かけるK氏も言おうとして思うようにすらすらと言葉が出てこないこと出演のたびごとである。斯様にいろいろ頭を使い人と話す機会の多そうな人でも、その効果が出ていないと思われることもある。


 
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