屋久島生活の断片・日誌編
                     Home > 目次_top  >  記事

No.122  港と火事のこと H15.06.16)

5月末から6月初めの頃だと思うが、TVで火災の報道が目に付いた。神戸では消防士が何人か亡くなったし、東京では作業場の2階の住居で4人亡くなった。鹿児島でも死亡者の出る火災があった。そんな時期に、私の住む集落でも火事騒ぎがあった。

広報無線でサイレンが鳴り、港で原野火災が発生、消防団員出動方という放送があった。煙でも出ているかと、近くの高台に行ってみたが、港の入り江の周りも高台になっているからその陰になって何も見えない。煙も上がってもいない。たいしたこともなかろうと家に引き返したら鎮火したとの放送が流れた。

恵比寿さまと大黒さま 海を見下ろす高台にある

その日午後、犬を連れて散歩がてら現場を見に行った。平内の港は人家のあるところからは高さ何十メートルと下って港に行く。その道の途中のかなり高いところに一艘船が置いてある。4mくらいの船で小さい。そのそばの海を見下ろす高台には恵比寿さまが祭ってある。はじめは別の場所にあったらしいが、1700年代半ばにはもう祭られていたらしい。今は漁をする人は少ないが、むかしは食料確保に必須の港だったようである。

そこからさらに下って行くと外海を見通せる道の末端にスロープがある。置いてあった船はここから引き揚げたのかもしれないが、このスロープはあまり使われていないように見える。作ったものの外海に面しすぎて使いづらかったのかもしれない。

道の末端のスロープ 横のスロープ

横の岩に囲まれたプール状の小さな入り江にもう一つスロープがある。こちらがいつも使われているようで、ここには引き揚げてあった船より一回り大きいかと思われる船外機をつけた船が係留してある。これで網を入れたりして漁をしているようである。ここは子どもの水泳プール代わりにもなっているようで、教育委員会の「子どもは一人で泳がないように」というような看板もある。

その周辺を見てみると、周りの岩の凹みには網のくずやごみを燃やしたあとなどもある。その火の後始末が悪くて飛び火でもして火災になったのかと思ったが、後日人から聞いたところでは、野焼きをしたらその勢いが強くてコントロール不能になったらしい。

燃えた広場

火災の現場は港に下りる道の末端横で、かつては私も釣りに来て車を止めたことのある広場である。草もあまりなく容易に駐車できたのだが、今回の燃え跡を見てみれば、木も生え草丈も相当のようだった。港の受益者は約1〜2名程度で他の利用者や釣り人は少ないようである。その広場は近頃あまり利用されていなかった様子に見える。草ぼうぼうなのを見かねて誰かが野焼きをとしたことが裏目に出て火事騒ぎになったようである。


 
 Home   back