屋久島生活の断片・日誌編
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No.111  別荘のこと H15.01.13)

貧乏性が言わせていることである。私のような小さな家を建て定住しているものにはなんとももったいないという気持ちが抜けない。近所にこのあたりでは比較的大きな建屋の別荘がある。敷地も500坪くらいはあるかもしれない。数年前に建ったのだが、人が来るのは年に2回か3回くらいである。そして一回の滞在期間は一週間くらいである。不在の間はほったらかしで、来る数日前に頼まれた人が家に風を入れたり周りの草を払ったりむしったりしている。


人が来るときは草を払ったりむしって
 地面にうっすら草が生えているくら
 いのきれいだった庭が来ない間に
 このくらい草ぼうぼうになる

(左):道路側玄関前

(右):南側の庭

屋久島では草の成長が速い。次に来るまでに庭は草ぼうぼうになる。滞在期間中だけは草は払われたりむしられて地面はうっすら緑の名残りがあって手入れされているかに見えるが、人がいなくなれば元の木阿弥、草の生え放題になる。来ているときだけ見てくれがよければ本人としては気にならない、それが別荘だと言えばそうかもしれない。

そういう状態を見て私は思ってしまうのである。田舎とは言え土地と家屋で何千万円もかかっているだろう。それを年に2〜3回、一回一週間くらい利用するだけ。もったいない。高級ホテルで泊まってそれなりの食事をして一日3万円として3週間約20日で年60万円。仮にあと20年生きてこのペースで利用するとしても別荘相当の宿泊費用は1200万円で済む。断続的に短期間屋久島を楽しむならそのほうがよい。私なら残りのかなりのお金を空気を住まわせるだけに使わない。もっと人生が楽しめる。私は貧乏性なのでそう思ってしまうのである。

伝え聞くところによれば、家を建てる頃は介護を要するような老人と二人暮らしをするようなことを言っていたとのことである。多分初めは将来の定住を考えていたものと思われる。しかし別荘宿泊の初体験をしてみたら身寄りと離れ屋久島に暮らす大変さを理解したのかもしれない。私と同じくらいの年代の人が介護を要するような老人と屋久島でのんびり二人暮らしをしたいと引っ越してくるにはかなり無理がある。それで今の利用状態になっているのかもしれない。


補足: 
別荘の件同感 (友人の反響メールから) (H15.01.16)

持ち主は?
・別荘を作ったこと、持っていることに満足
・もっと利用する、出来ると思っていた
・もう処分しようと思うが出来ないのかもしれない。

さて、自分の場合自家用車とタクシ−バスの関係は良く似ている。自家用車は今はもう不可欠ではないし、経済的にはタクシ−利用が安いだろう。が依然として持ち続けている。安全からは年齢的に70歳で捨てる決断が出来ればいいなと考えている。


 
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