屋久島生活の断片・日誌編
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No.110  ある木のこと H14.12.16)

私は散歩する道沿いの牧草畑の中に立っている木が気に入って眺めている。特に紅葉してきたのが日に照らされているのを見ると風情がある。あまり他の人がこの木のことに話題にするのを聞いたことはないが、畑の中のそこに2本だけ立っているのを見ると土地の所有者も多分私同様その木にそのあたりの他の草木と違った雰囲気を感じて残しているのではないかと思わぬでもない。

牧草の段々畑の
段の縁に立つ木
(大きな株1本と
 小さな株1本が
 一ヶ所にある)

我が家のあたりの林の木は大体が常緑樹である。濃い緑の葉が茂って枝もあまり見えず、向こうが透けてチラチラ葉が振れて光の変化が見える木は少ない。紅葉もし落葉もする木もあるが、大体ははぜではぜはいつも道端のじゃまなのを切ると必ずかぶれるので嫌いである。そういう木の多いわが家近辺にあって落葉樹でかなり大きく葉が比較的疎で枝と葉が透けて見える感じの木はその2本だけである。

紅葉も終わり落葉の時期になると、なんとなくヨーロッパ映画にありそうな街路樹の葉が散る風景がその木の景色にダブって浮かんでくる。西部林道方面の照葉樹林帯に行けばこういう木はたくさんあるのだろうが、この木のように畑のなかのそこにだけ立っているとその孤独感と季節感が際立って、寒さのなか孤独に去っていく美人の後姿に街路樹の葉が散るヨーロッパのむかしの映画のラストシーンで感じたような感覚にとらわれるのである。そういうシーンが現実にあったかどうかは確実な記憶はないのだがそういう感じがしてしまうのである。

最近紅葉し始めてから写真に撮ろうと言いながら散歩をしていたのだが、犬を引くのに気をとられてカメラを忘れることを繰り返していた。落葉し始めて来た頃それにあきれた妻にカメラは持っていかないのと言われてやっと今回写真を撮ることが出来た。しかし写真では自分の見ている木の感覚的大きさや雰囲気は写らない。


 
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