屋久島生活の断片・日誌編
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No.83  顔面岩のこと H13.12.17)

我が家の場所の北側の山並みは輪郭が弓なりあるいは眉の形をした壁のように見える。火山爆発があったときの報道で雲仙に眉の形をしているとかで眉山という山があると知ったが、それを聞いて以来それがぴったりきてここの山並みを心中では眉山と呼んでいる。一番高く見えるところはどのくらいの高さかわからないが、地図で見ると家から直線距離1.2kmのあたりで標高200m、距離1.5kmで300m、距離2kmで標高500mくらいである。その奥には等高線がつまって600mから1000mの標高まで延びている。家から見上げて見えるのは300mくらいではと思われる。

弓形あるいは眉形に見える山 顔に見える

その山並みの左の方つまり西よりの方の壁面にそう思ってみると人の顔に見えるところがある。岩の凹凸と木の生え具合でそう見えるようである。それに気がついたのは目ざとい妻である。顔面岩だと言って妻は面白がる。何でもこじつけてそれらしい意味づけをするようならば、適当な写真を心霊写真だと騒ぐのと変わらないのではないかと思わぬでもないが、景観についてはよくその特徴をつかんで名前をつけるのはコミュニケーションの昔からの手法である。

中国の何とか言う自然遺産のところにも三姉妹岩だか三美女岩だかというのがあるとTVでやっていたが、屋久島にも夫婦杉、ローソク岩などというのがある。景観の印象を人に伝えるには想像しやすいものに例えるのが一番分かりやすいのでそうなっていると思われる。はっとする譬えなら見てみたいと思わずにいられないときもある。

妻は顔面岩を見てから近所の知り合い何人かにあそこに顔面みたいに見える岩があるが知っているかと話題にしてみたが皆あまり関心を示さなかったそうである。顔面岩はありきたりの譬えであるから反応がないのかもしれない。また観光スポットのある土地に住むことを誇ったり巡ってみることが田舎暮らしの生活ではないと言うような思いで、皆それぞれそれなりに田舎暮らしを楽しんでいるからなのかもしれない。

田舎暮らしとは、もともと田舎に暮らしている人の暮らしを言うのではない。その田舎に住んでいなかった人がそこに住んでみたいと暮らす、つまりよそ者がそれまでの生活で得た価値観をもって移り住んで暮らすからわざわざ田舎暮らしというのである。多分そうである。そしてそういう人間がなんでもない景色や地元での暮らしぶりに新鮮味や安らぎを感じる、それが田舎暮らしを実感するということである。

移住以来の私はといえば屋久島だから特に何がどうだということなしの田舎暮らしに満足している。しかし妻は淡々とした生活の中でもたわいもない近くの景色などに面白みを感じる気持ちを持っているからか多分自ら望んだわけではない田舎暮らしをそれなりに楽しくしているのではという気もして私としては少しすまないと感じることがないわけではない。

 

付録: 犬の現況のこと (H13.12.17)

レオ
 (生後112日 家に来て39日 体重10kg)

 こんなに大きくなりました

 


 
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