屋久島生活の断片・日誌編
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No.77  顕彰碑のこと (H13.11.05)

10月31日昼ころ車で県道を走っていたら尾之間の屋久島いわさきホテル入り口というバス停のそばの公園状のところにテントが張ってあり大勢の人が集まっていた。顕彰碑の除幕式のようである。そのときは役場の車やら車がいっぱい付近に駐車していたので午後遅くどんなものかと見に行ってみた。植木などもきれいに植わっており駐車場もある。

その碑はホテル経営母体の鹿児島で有名な企業グループの創立者を顕彰するものである。碑銘の下には鹿児島選出の自民党の大物議員なになに書とある。建設委員会は屋久島の人たちのようである。後援はその企業グループである。

碑文にはその企業グループの創立者がそのむかしから屋久島の自然に着目し、てこ入れをしてきた、観光開発に寄与し特に海上交通では定期航路を開きつぎつぎ船を就航させ屋久島の発展に貢献したので顕彰するというようなことが書いてある。

見るところでは屋久島の人たちが今の屋久島のあることを感謝して音頭を取って顕彰碑を建てたということのようである。だからか午前中の除幕式では役場の車が目についたしテントの屋根には宮之浦にあるその創立者も設立に関係のあったらしい電工会社の名が見えた。

また敷地はその企業グループのホテルの敷地らしい、そこに建てさせてもらったようである。午後見に行ったときホテルの従業員がなにか作業をしていたところを見ると管理はホテルでやるようである。

翌日TVによれば、親交のあった屋久島の17人だか19人だかが委員となって本人の好きだったモッチョム岳を望む地に建てたということで、当日は遺族も出席しての除幕式だったそうである。


 
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