屋久島生活の断片・日誌編
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No.16 夏祭りのこと (H12.08.20)

8月15日集落の夏祭りがあった。お盆で帰省する人たちも多いこの時期に例年行われているようである。午前10時神社に手踊りを奉納すると放送があったので見に行った。中高校生、青年団の十人余の保存会メンバーが拝殿前で踊った。

朝10時の手踊り奉納

伝統行事を保存、継続していくことは大変である。今の人にとっては生活での必要性はないし、金になるわけでもない。だが伝統行事というのは時代時代でそれなりに存在価値があったから、そしてその時代時代で価値あるように変容を遂げてきたから受け継がれてきたわけである。

これからも受け継がれていくには周りの人たちが価値を感じることが必要である。そしてまた行事をする人たちがやりがいを感じることが必要である。即ち保存、継続していく気にさせるなにものか伝えられていることも必要だが、これからの人たちの感性に訴える魅力で更新していくことも必要である。若者たちの今後に期待したい。


夜の部は区の公民館(生活館という)の広場で模擬店も出て行われた。催しものは舞台でのゲームのようなものとカラオケと景品抽選会だった。出演者以外は20M位離れて観客席にいるというような会場配置である。観客(の男たち)は大体酒を飲んでいる。芸をするのは女子供が主である。(フラッシュがとどかず写真撮影失敗)

感想としては、今観客となっている人たちが出し物などを出して雰囲気をリードし、面白いあるいは下らない、日頃は出来ない印象的なことを女子供の前でやって見せてほしかった。私の経験では後で、あの人はあんなことをやった、恥も考えずよくやる、いつもから想像できないなどと、しばらくは噂になるようなそんなことが、故郷を離れた人には故郷での出来事や人の実際を思い出すきっかけになる。将来島を出ていく子供たちに島の生活の場面場面を思い出すスイッチを埋め込むのも祭りの効用の一つだと思うがどうか。

さて私の祭りに関することである。私は桜の名所と言われるところで幼少の一時期を過ごした。桜の頃が祭りの時期である。サーカスの小屋のこもの隙間から忍び込んでただで見たこともある。が、一番印象に残っているのは父のことである。父は意地汚い。花見のただ酒に酔いつぶれ小便をたれたあとのついたズボンを人目にさらしながら前後不覚でリヤカーに乗せられて帰ってくる。いやだった。でも今はそれを祭りと言えばまず思い出す。そしてその頃のこと、周りのことや人を思い出す。

思い出とはそんなものかもしれない。いやなこと、くだらないことを取っ掛かりに思い出す。だとしたらふるさとの日々がこれからの出郷者の思い出となって出て来るよう祭りは大人がもっと熱中し下らぬことをおおいにやらないといけない。さもないと故郷の思い出は封印されてしまうような気がする。私も下らぬことの持ち合わせがないことはない。
 

付録: 恵方巻のこと  [2011(H23).02.02]

伝統行事関連かとここにちょっと別件の下らない印象を付記しておく。どこの風習か知らないが、この時期厄払いのため太巻き寿司を切らずに長いままどっちかの方角に向かって食うという行事があって、TVなどで美人アナウンサーや美人タレントが斜め上方に目をやりながら手に持った太巻きの先端をくわえるような仕草をする姿の映像や写真が見られた。なにやらエロっぽい姿である。

 
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