屋久島生活の断片・日誌編
                     Home > 目次_top  >  記事

 
No.02 路側の木に思うこと (H12.05.12)

今日は2週間にいっぺんの病院へ行く日だった。県道を車で走っていると沿道の草や木の枝がさかんに切り払われている。5月18、19日の世界自然遺産会議に向けての準備の一環だとわかる。皇太子ご夫妻も見えられるので大層気を使って念入りに進めているようである。

私はある場所の木に気がひかれた。同乗していた妻も同じだった。緑の日に植樹などをなさるあの方たちが車でお通りになるときこれをご覧になったら嘆かれるだろうねと妻が言った。その木が下の写真である。

県道沿いの枝払いされた木 切り口部分の拡大

私はまた違う印象を持って見ていた。世界自然遺産と名がついてしまうとそれに関する活動がだんだんその本質から離れて付帯的活動を行うこと自体が目的になってしまう。それを象徴するもののように見えてしまった。

県道に張り出した太い枝を切るとき下に切り込みをせず上から切り下ろすだけだったため幹が無残にむしりとられてしっまっている。なんとなく人を迎えるためにきれいにしようと切ったのではなくただ切れば良いんでしょと切ったように見えてしまうのである。

何ヶ月か前に広報に鹿児島県議会で世界自然遺産に指定されての効果について議論している報告が出ていたが観光者が増えたとか経済効果関係に関心が偏っていたような印象がある。今の自然を維持し後世に伝えるためになにをどうしたという報告議論は少なかったように思える。自然館、環境文化村センター、環境文化研修センターなど建物は増えた。だがこれらが私には切るためにのみ切られた枝のように見えてしまうのである。

 
 Home   back