屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.329 すること同じのこと  [H22(2010).01.11]

1月5日の自民党河野太郎議員のメルマガで、総裁の年頭挨拶(鳩山、小沢の政治資金疑惑追及で解散総選挙や内閣総辞職ねらう活動方針)について疑問を呈し、それではダメで自民党としては自らがきちんと変わりつつあるということを見せることの方が大事だと言っている。野党第一党として、いますべきは国会の論戦を通じて日本経済建て直しや日米関係修復などの問題を議論して与党の間違いを認めさせ正すことだということである。私も似たような感想を持ったのだが、以下私が年頭挨拶のTVニュースを見てどこが野党になっても言うことやること似ているところがあると思ったはなしである。

民主党がマニフェストどおりの政策が実施できなくなって、野党などから言うこととすることが違うと言うだけのような批判が出た。その公約を求めて民主党を選んだ人がそう言うなら分るが、野党が緻密な論理を組み立て与党も無視できない提言とともに言わないのはおかしいことである。

私としては、マニフェストは目先の政策実施内容を具体的に示すものだとは思っている。しかし実行の際は現実対応で変わることもある。根底の考え方はこうであるということを知らず目先のマニフェストを掲げた政党を選んでいるわけではないから変更が納得できればそれでよいと思っている。与党になったということはその根底にある考え方に対する支持が多いということであって、個々の具体策となると支持はそれほどでないこともあるものである。そこに現実対応での変更・撤回の余地を含んでいるものである。

そういう意味で、野党の政策から出た批判意見・提言は大いに期待されているわけである。しかるに与党がマニフェストで言っていたこととやることが違うというだけの非難をするのでは、自分たちは野党だが与党の当初マニフェストに賛成だったと言っているに等しく見えておかしいのである。

これから始まる国会でも同様のおかしさが見えてくる可能性がある。例えば鳩山総理と小沢幹事長の資金管理疑惑が野党の攻撃材料となり国会が空転するかもしれない。むかしの与党も言っていたように、司法もまだ解明していないあるいはし尽くせない段階の疑惑を追及し説明責任を問うても、疑惑であるということ自体が定まらない。そういう中で疑惑だと言われても言われた方は返答の仕方に困るのである。

だが延々と攻撃し困らせて参らせようとする。それだけが狙いである。野党自民党の総裁が解散選挙に追い込むなどと意気込んでいるからその可能性大である。こういうことは、いままで野党だったいまの与党もやっていたような気がする。攻守ところを変えると相手のそういうやり方を批判していたのに自分たちもそういうことをするようになる。相手のむかしは今の自分たちであるというおかしなことになるのである。

数に劣る野党が政権奪取の機会を得ようとすればダメージを与える攻撃を仕掛けないわけにもいかないかもしれない。しかし本当に今が100年に一度の危機であるならば 、100年一度のハイレベルな政治をしてくれないと困るのである。立場が変わればやること同じというような無駄な政治手法をいまは見たくないと思うのである。

補足: 数にものを言わせないでのこと  [H22(2010).01.14]

永住外国人地方参政権付与法案についてだが、今度の国会で政府提案で成立させようというのは問題である。憲法論議、国益観点からの得失議論、国民の意思確認などを経てから考えても遅くないと思われる。賛成派の言う過去に特定国の人に迷惑をかけたからという感情論と反対派の言う支援勢力確保のための党利党略説しか耳に入ってこないから、それでは進める理由にならない気がするのである。


 
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