屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.327 40周年のこと  (H21.12.21)

ルビー婚と言うらしい。私たち夫婦が結婚してから12月15日で40年目を迎えた。私は妻が期待していた夫で有り得たかについては自信はない。しかし落第点をとるほどではなかったようでここに40周年を迎えることができた。人はどう見ているか知らないが、私は内向的で人付き合いは苦手の文句たれで独善的な性格である。

妻も自分は内向的で人付き合いは苦手だと言っているが、私と違って努力してそれを他人に感じさせないようにしているようである。私には妻のそういう振る舞いの見かけがTVアニメで見るサザエさんみたいな感じである。

サザエさんはどうか知らないが、妻はあっけらかんとし明るいその見かけとは違って、内心はものごとを気にもするし心配もする。しかし自分の気持ちに踏ん切りをつけさっぱりと振舞うように努力している。その結果が表に見えるときサザエさんのような印象になるのである。

それで私は助けられてきた。妻に「○○しちゃえば」とあっけらかんと言われて、あとさきを考えて抜け出せない苦境から身を捨ててこそ浮かぶ瀬も有れと新たな心境に飛び移れたものである。することに負けなければよいとばかり処世に気配りしないいわゆる負け組みの私がそれでもいままでそれなりに充実した日々を過ごして来れたのは、責めることなくそれでよいのだという妻の変わらぬ姿勢によるところが大きい。

ところで、妻はこの40年をどう思っているのだろうか。妻に聞いてみたが私に気をつかってかありきたりの感想を言うばかりである。経済的な心配をしなくてすんだしこれからも大丈夫そうでよかったとか、今になって先行き心配な状況に陥っている友知人もいるなか危機もなくやって来られてよかったとかの変哲もない感想をまとめれば、関心は先のことがほとんどであまり振り返ってあれこれ考えないということである。

私もこれまでの年月のひだにまつわるニュアンスは感覚としてあるのだが抽象的な愛とか幸せみたいな言葉をからめて言うとその感覚が変質してしまうような感じがするから、やはり今あることを喜びこれからもよろしくという変哲もない言葉しか口に出てこない。私と妻では感覚にあることは違っているだろうが、今の自分たちでそれでよいのだと納得していることが互いに分ればそれでよいのである。そしてこれからもよろしくと言うにつきるということである。


 
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