屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.326 キレイが勝ちということ  (H21.12.16)

12月16日の日経新聞一面下の書籍広告にK.K.女史の「結局、女はキレイが勝ち。(欲張りに生きるためのスキル63)」というのが載っていた。 勝つということがどういう意味なのかはっきりしないが、キレイという言葉の意味は、わざわざ本に書くのだからと考えれば、身体特に顔がキレイとかブスとかいうことではなく気持ちがとかしぐさがとか働き方がとか生き方がとかいうはなしではないかという気がするが、この類の本を買って読む気もしないから本当のところは分らない。

私はその広告を見ての第一印象は、下世話ながら女は顔がキレイが勝負の決め手と言っている、そこそこ美人で成功している女が自分を例の自慢話かというものである。そしてその美人かどうかが勝負を決める、それを キャリアウーマンの著者が言っているという前提で以下面白半分の感想である。

まずは、勝つということと成功するということがその意味がはっきりしないながらも同義であるとしてのはなしである。成功するというと、以前見たアメリカの小学生たちに将来どうなりたいかと問うていたあるTV番組を思い出す。小学生のほとんどが答えて「成功して・・・・したい」と言うのである。教育現場でも人よりも高い地位や金持ちになることが成功するという意味のように扱われているようでいやな感じがしたことを覚えている。そんな負けるが勝ちの精神性が欠如しているアメリカかぶれを本のタイトルから想像して嫌味を言いたい気分でもある。

さて、成功者と目される女性著者はやはりキレイでないとよい男を得られないとか人生の局面局面で勝ち上がっていけない、あるいは男や仕事などでの岐路に立ったとき美人の方がうまくいくと思っているのだろうか。もしそうなら 、自分はそこそこ美人で成功したと思っているからこういうはなしをするわけである。

あるいは、相手が男であれ女であれ自分がキレイでないと勝てない。自分よりキレイな女には結局勝てない。だから自分のキレイ度を知ってこう生きているというのが本の内容なのかもしれない 。そうであれば、いくら成功してもキレイな見てくれが大事だ 、キレイかどうか気になっているというのが著者の心底にあるからこういうタイトルになっているのかもしれない。

以前美人で社会的地位も高くTVにも出て有名で成功していると見られている人が結婚したのだが、結構年上の金持ちで社会的地位のある男性が相手だった。そのとき男女対等とか言いながら女性はやはり金と地位のある男を選ぶ、ステータスで男を選ぶのかと思ったことがある。なにやかや言いながらも結局は女の本心はそこかと思ったのである。そしてそこそこ美人でなければそうはいかなかったに違いないとも思ったのである。

また男のことについて言えば、成功したら糟糠の妻を捨てバカっぽい若い美人妻に取り替えるとか、成功した男が社会的に名もないただの美人を妻にするというのはよく見聞きするところである。それを女をバカにしていると息巻く女性もいるが、女も男と対等との意識があるなら成功してかわいい若い男を働かなくてもいればよいと夫にしないものかと、私は思うのである。

しかし女が成功していく中でステータスに合わない男を捨て取り替えていくのが今流でそれも勝った証拠ということかもしれない。著者も何度か離婚しているらしいと聞くとそういう思いも頭を過ぎる。むかしの髪結い(キャリアウーマン)の亭主というのはいま有り得なそうである。女にむかしの気概は回復できていないのかもしれない。

下世話な感覚で本のタイトルから連想していくと、男も女も女のキレイな見てくれに弱く、女の場合はそのキレイが勝つ大きな要素になっているということになる。そして女は結局キレイで勝っ証拠は、成功したキャリアウーマン・著者自身と言っている ように思えるわけである。

しかしほとんどの女は著者ほどのレベルに達していないと思われるから、著者ほどに自分に自信が持てない。そしてキレイでない女にキレイでないと成功しないと言っても、それでは本は売れない。とすれば本の内容は、成功すれば女はキレイな美人という称号で呼ばれるようになる。こうすれば成功するというお気楽ノウハウ本でタイトルはその反語的表現ではないか思えてくる。多分それが当たりではないかという気がする。 以上「結局、女はキレイが勝ち。」というタイトルで著者がいわゆる成功したあるいは勝 ったと思われているらしいそこそこ美人の女性だという本の広告を見て下世話な想像をたくましくしたお遊びの感想である。


 
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