屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.325 屋久島(167):ドラマと景色のこと  (H21.12.07)

11月23日屋久島おおぞら高校をモデルにした「いのちの島」というドラマの放送があった。通信制の高校で屋久島にはそのスクーリング施設としての屋久島おおぞら高校が平内にある。ドラマはフィクションだからその高校の活動の実際とどのくらい似ているのかは知らないが、屋久島の景色の位置関係については実際とだいぶ異なる。

まず高校へ車で行くところの道だが全然違う景色のよいかなり標高の高いところで、実際は海の近くの崖の上の平地にあるのだが山の中にあるように錯覚させる。また女の子が自殺しようとしてか夜施設を抜け出して砂浜に行くのだが、実際には夜抜け出して歩いていけるような場所に砂浜はない。昼ごみ拾いした場所に行ったということだが、それは実際は海亀が来るという永田のいなか浜と思われるから施設のある平内からはるかに離れている。

うみがめ館は私の知っている感じと印象が違って見えたのでセットという可能性もあるが、出てくる施設をはじめとする景色は実在している。しかし位置関係については近くに集中して存在しているかのように描かれている。以前三浦友和が主演の屋久島が舞台のミステリードラマを見たことがあるが、これも遠く離れた場所が走って行けたり自転車で軽く駆けつけられる位置関係に描かれていて、現地に住んでいるものにとってはなんとも違和感があった。多分自分の住んでいるところがドラマの舞台になったいろんな場所の住人たちも同様の感じを持っているのだろうと思われる。

屋久島関係のブログで東京から来るには飛行機だ、鹿児島からフェリーには乗らないとか、ドラマの山岳ガイドの作法がおかしいとか指摘されていたが、それらを含めドラマの仕立ては似て非なるものを実際のように見せることが多いと思われる。エンターテイメントとしてドラマが成立していればそれでよいと言えばそれまでだが、現地を知らない人たちには誤った印象を与えてしまうことがある。

私が経験したところでは、来るまでは見所がどっかの町並みの中を観光するように歩いて回れると思っていたという知り合いがいた。また気軽に移動できるだろうと車を利用せず定期バスを利用してホテルから大川の滝に行ったはよいがすぐの帰りのバスを逃してその日滝への行き帰りだけした人もいる。こういう移動の不便さと相俟った時間的距離的広がりが感じられない設定のご当地ドラマが多いようである。今回のドラマも施設のあたりにコンビニなどないよというはなしだけで私には広がりを感じられなかった。

また、今回のドラマでは海亀と縄文杉が仕掛けの中心で心理的な扱いがされていたためそれらについては納得して見ていたが、いわゆるご当地ドラマでは観光スポット紹介の必然性がないものが多いのではないかという気がする。撮影に協力する側の観光施策的にはなぜご当地のそこということがなくても観光スポットが紹介されれば観光客誘致につながるということだと思われるが、ただ紹介されるだけではそういう傾向のご当地ドラマなどの番組が数多い昨今その効果はあまり期待できないと思われる。

私は、実際知っていることがTVで印象が違って表現されるのを見ると、一般の情報番組や報道番組までも実際とは感じが違うかもしれないと用心して見てしまうときがある。そこで思うのだが、ご当地ドラマなどが遍くいろいろな地方の観光スポットを舞台にすると、そこの近隣住民のほとんどは番組内容に似て非なるものが実際だということに気づいているのが当たり前、つまり全国的にほとんどの人がそれになれてしまっていることになってくる。そうなった人たちを実際が見たいという気にさせられなければ観光客誘致効果は期待できなくなるわけである。だからただ紹介されるのとドラマの仕掛けに観光スポットが必然的にかかわるのとでは効果は大きく違ってくると思われる。地元としてはどんな取り上げられ方でも少しは効果があるからと協力はするのだろうが、そのうちドラマの仕立てが気になってくるはずである。


 
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