屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.320 屋久島(165):地元大事のこと  (H21.09.28)

今回(9月20日)の町議会議員選挙の当選者をネットなどでの評判(サイト数はあまり多くない)から見ると、以前から改革派とみなされる3人(全員再選)、批判の対称になっている現体制派4人(全員再選)、残りの再選7人はどちらかというと現体制派シンパとして議席にいたと目されているようである。新人は6人(元職もいる)で、そのうち多分2〜3人くらいは改革派ではないかと思われる。  

以上独断的仕分けでは、改革派5〜6人、現体制派14〜15人というところではないかと思われる。多分改革派は議席を二つ三つは増やしたのではないかと思われるが、従来体制派がネットなどで批判はあったものの大勢という状況は変わらないようである。(ネットでは裁判になっている町長疑惑に限れば9人が批判的との見方もでている。)

そこで感想ということになるが、疑惑追及されている町長への提訴や批判がなされていても町民の大多数は、地元の求めるものを権力者たる町長にやってもらうために役にたつ議員を選ぶのだということではないかと思われる。町民はものごとの正否が分らないのではない。それは分った上で田舎の現実に即して行政にお目こぼしをしているのだという見方もできる。警察が違反を注意だけで見逃してくれることがあるのと似ているかもしれない。

私が今まで投票してきた町議会議員は地元の人である。衆議院議員に地元選挙区から何人出したと喜んだり、地元出身者が総理大臣になったと提灯行列をする気持ちに似て、自分たちの住む地元の事情を理解した代表を選んでいるという感覚である。

ところが昨今町長疑惑問題が取り上げられ、本人の現体制べったり体質が批判にさらされているその議員が選挙も近づいて来たからか我が家に来て雑談して帰った。疑惑に関し言うところでは、本人も本当のところはすべての事情が分っていない、あるいは記録もないし記憶に残っていないということである。そして断片的事柄についてあれはこうだ、それはこうだと疑いないように言うのだが、それを証拠立てるものがない。それでは高圧的に口封じしようとしている印象を持つ人も出てくる。

正否はともかく指摘される事実はあったということだから、なぜそうしなければならなかったのか、その訳とそれが間違っていないことを証明し、疑惑を持つ人たちを納得させることが必要である。まずは疑惑をもたれるような状況を作り出したことを詫びて、説明することが必要である。それをして来なかったから、裁判の結果がどうであれ厳しい見方をせざるを得ない。私はそう言ったのだが、残念ながら今後の改善ばなしは聞くことがなかった。

甘い見方かもしれないが、彼も初めて議員に立候補したころは地元や町の人々の置かれた状況を改善したいという意欲でいっぱいだったと思われる。むかし鹿児島で入院していた親族が亡くなって霊安室もない当時のフェリーの薄暗い船倉の奥に置かれていた遺体を迎えたとき、こんなさびしい惨めな気分はいやだ、なんとかしたいというのが議員になろうとした切っ掛けだったと聞いたことがある。

それがどうして今のようなことになったのか。その訳は多分議員の限界を知ってその枠を広げ自分の思いを町政に反映させたいと権力に近い立場を求めて行ったのではないかという気がしないでもない。自分の思いのために積極的うなずき役として振舞い続けるうちに当初の気概とは異なって町長の追従議員という立ち位置にはまり込んでしまい、今疑惑不問サイドの人物と言われているのではないかという気がするのである。

同様なことは町長にも言えるかもしれない。町長も当初は町の人々の置かれた状況を改善したいという意欲で立候補したと思われる。そして自分の思いを町政で実現していくための協力と引き換えに協力者たちの意向を汲んできたのではないかという気がする。そうしているうちにそれが手枷足枷となって選択肢を狭めていった結果が疑惑のもとになった気がしてしようがない。いずれも当初の目的を達成あるいは失ったあと当選することが目的化してしまい引き際を誤った結果なのだと思われる。


 
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