屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.314 冷蔵庫のこと  (H21.08.13)

親しき仲にも礼儀ありというはなしである。何十年もむかしのことだが、独立して一家を構えている弟が我が家に来ると何か食うものがないかと冷蔵庫を開け食い物を探して勝手に食うことがあった。我が家は私が結婚して親と同居している。家計から家事一切妻が仕切っている。私が弟の家に呼ばれても奥さんの手前、冷蔵庫のみならず家の中のものをいじるときは断りを入れる。だが弟は結婚するまで我々夫婦とともに親と同居していたからか、独立して一家を構えたのに我々も独立した家族であるとの認識が薄い。

何回もそういうことがあって、私は不快だったから妻はなおさらだろうと思って、あるとき俺はお前のところへ行っても勝手に家の中のものをあさりはしない、俺がそういうことをやったらお前の奥さんは嫌がるのではないかと言った。一家を構え独立したら自分の方の領域にはバリアを張り介入されるのを嫌がるが、ほかの人の領域には侵入勝手放題というのは片手落ちである。独立していれば自分たち独自の触られたくない部分があるのはお互い様であるということが分からないのは困る。血がつながっていない互いの連れ合いがいる場合にはなおさらのことであるというようなことを言った。

親子兄弟間では何でも許されるというのはほんの幼いころに限ったことである。子供が成長すれば互いに抑圧や束縛、しがらみから逃れたいという気持ちも出てくる。それぞれが自分の生活様式を築いているしあるいは築いていくのだから、親だから子供だからとステレオタイプあるいは自分の思い込みで相手はこういう思いだろうと決め込んでやってこられると困る。それぞれの成長の過程で考え方やものの見方は異なるのである。互いに違うという前提で相手を慮るのが礼儀というものである。

弟は私が意見して以降妻を立て実家とはいえ、親と我々夫婦のけじめを付けて振舞うようにしてくれたので何かおかしいという気持ちが鬱積していくこともなかった。しかし縁を切りにくい親子親戚間で長年何かおかしいという気持ちが鬱積してしまったら苦痛である。意見を言えない相手にその気配を感じたら、距離をとってそういう場面に遭遇するのを避ける以外にない。


 
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