かつてダイオキシンが問題になって世間で話題になっていたころダイオキシン垂れ流しの旧ごみ焼却施設が閉鎖され新たな施設が導入されるという話だったが、その計画が遅々として進まなかった。法律か何かである時期までに新しい処理施設を稼動させなければならないのに、計画が遅れていると環境問題に熱心な住民グループがどうすると騒ぎ出して行政と住民グループとの協議会みたいなものが出来たような記憶がある。
その後の協議内容を私は知らないのだが、ある頃からぴたっとその動静が聞かれなくなった。私は導入計画の推進についての合意あるいは理解が得られその活動がなくなったと思っていた。つまり施設の処理方式や運用方式などについて住民グループの意向が反映されたかたちで導入計画が決定されたのだと思っていた。そして導入時期は所期より遅れたものの稼動までこぎつけたのだと思っていた。
ところがいま新しい廃棄物処理施設は故障続きということでその方式選定を含む導入計画が適正に行われたのかと追求され、運用方法の見直しや対策計画の策定が求められているようである。それを耳にしてこの問題施設の導入計画はもしかしたら当時の行政と住民グループの手打ちの結果なのではないかという気がしている。
計画策定が遅れに遅れているときに住民グループの突き上げがあって、協議の場で行政側が決めかねている施設の要求性能・機能についても屋久島らしく革新的なものをと言われてそれに引きずられたのではないかと勘ぐっているわけである。まさか住民グループにメーカーの息がかかったということは考えられないから屋久島らしく革新的なものをと純粋に理想を追求してのことだったがそれが裏目に出たのかもしれない。当時の住民グループが静かだからそう思うのである。