屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.296 宴会のこと  (H21.03.02)

先日サラ川傑作100選発表というチラシを屋久島の第一生命に勤めているらしい人からもらった。以下その中の一つの川柳を読んで思いついた話題である。

私はビジネスのパーティのように人の間を渡り歩いて繋ぎをとったり、知ったもの同士あるいは特定のもの同士が個人対個人的な関係で交歓するような宴会は好みでない。特に自分がただ飲み食いするだけに終わるちょっとした多人数での宴会は嫌いである。それが参加者全員と何らかの知り合いの関係の場合は尚更である。宴会が設定されるにはそれなりの訳があるはずなのに、内輪のグループがいくつか出来て盛り上がっているだけのことが多く、それではみんなで集まった甲斐がない。

私は個々人の興味ある話題や会っていない間の出来事などの報告みたいなことを聞き自分のことも伝えて皆で共有したい。だから話している当人同士しか分からないはなしを漏れ聞いていても興味はないし、それなりに話し相手になりそうな人といたしかたなく時間つぶしをするだけである。

私が少しは人となりを理解していると思う人は個々に顔を合わせる機会の多い数人くらいのものである。全員と個々に付き合うには無理があるから、宴会のときに少しでも人となりが分かるように皆の前で話を披露しあう機会があればよいのにと常々思っていた。例えば大家族が集まる宴会があったとして、他家から来た嫁さんの話などはなかなか聞けないし人となりもなかなか知る機会がないものである。そんなあまりしゃべらない人の話も聞いてみたい。

私がちょっとした多人数の宴会に最後に出たのは7年前である。屋久島に来てから初めて上京することになったとき会食の機会を設けてもらった。屋久島に移住する以前20年間くらい毎年恒例で集まっていた人たちとの宴会である。長年離れていたので少々感傷的になっていた私は懐旧の情の交歓もあろうかと思っていたのだが、相変わらず内輪のグループがいくつか出来て盛り上がっているだけでむかしと変わることなくがっかりしたことがある。

その数年後そのときの一人に私の希望・個々人の興味ある話題や会っていない間の出来事などの報告みたいなことを誰かが仕切ってやるようなことが出来ないかと言ったのだが、そんなことをしたら誰も集まらないと一蹴されてしまった。もう現実にはそういう機会は巡ってこないと思うが、以来私は上京したりしても一同集まって会食したいという意欲は失せてしまった。自分が思うほどには自分は評価されていないものだと世間でよく言うし分かっているつもりでも、その言葉が身についていなかったことを恥じ入るばかりである。

今年の第一生命のサラリーマン川柳に「送別会 主役が去りて 盛りあがる」(一生課長)というのがある。これは参会者側から見たもののように読めるが、それを反対側から見てみれば、その異動か退職する主役も宴ではなんとなく私と似た気持ちを感じていたかもしれないという気がしたのである。あるいは作者が(一生課長)とあるから、退職するその人が主役で自分が退出したあとの盛り上がりを何かの成り行きで垣間見て詠んだとすればなおのこと実感が伝わって来る感じである。


 
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