屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.285 屋久島(152):観光立島のこと  (H20.10.20)

観光庁も発足したようだが、屋久島も観光立島を謳って久しい。離島のなかでは屋久島の集客実績は上位にあるようだし、国内世界遺産の行きたい場所ランキングも上位のようである。大勢の観光客が同じような場所に集中して自然が荒れるので環境保全のため入島料を徴収しようというはなしもよく聞く。ということは今までの島の整備状況はこれほどの観光客を想定していなかったということでもある。

そこで観光立島と言うことはそれを掲げる理由として、想定外の観光客の増大にもかかわらず経済的効果は従来の想定を超えていないか下回っているため、想定以上の大勢の観光客で自然が荒れるほどになっても観光立島をいまだに掲げざるを得ないということが考えられる。あるいはまた観光客の増大に見合ってそれなりの経済効果が得られたが観光客の増大に観光資源が質的整備も含め対応できていないため、かつて屋久島の魅力が注目されはじめたときと同じようにあるいはさらに自然を楽しめる環境を整備することが必要になってきているということが考えられる。

現実には多分、観光客の増大でそこそこの経済的効果があるにしても、観光資源の質の維持あるいはさらなる観光客の誘致にも耐えうる観光資源の整備をするほどの経済的余裕を得るまでには至っていないというのが実態ではないかという気がする。ところで私が直感的に思っているのは、人工的な都市あるいは構築物の観光名所・世界遺産は権力者がその美意識によって作り上げたところ・ものがほとんどではないかということである。烏合の衆みたいないろいろな趣味趣向の人たちが勝手に一部一部を思い思いに作り上げたものはない感じである。

自然の世界遺産はその存在自体が保全する価値があるだけでは観光名所にならない。その景色自体や周辺を含む風景あるいはその中で五感で感じる雰囲気に魅力がないと観光名所にはならない。そのためには景色・風景を楽しめる場所の整備、その場所で自然を保全しつつ自然を感じるための方法の整備が必要である。そして私はその場所場所によって統一された美意識によってそれがなされることが必要な気がしている。理由は人工的世界遺産が優れた美意識を持った権力者の指揮のもとに作り上げられたのではないかという印象を持っているからである。そして人手が入って整備する領域には同じようなことが必要ではないかと思うからである。

政府・自治体あるいはそれに類する資本がその権力で統一的な思想の下に地域開発や観光資源整備をさせあるいはしなければ、観光立島は中途半端な掛け声倒れになる可能性が大きい。観光立島とは保全すべき自然遺産に人が手を入れていくに当たっての思想・構想・美的センスとその実現能力が問われており、業者や自治体が個々に工夫するだけではあるいはまた個々に追求した利益の上がりだけでは達成が難しい気がするのである。本来の自然遺産である奥の自然そのものへの手入れに関することではないが、一例を挙げれば景色を眺め遠く風景を望める観光地の全体価値・魅力を向上させるには、移動や歩行に供する道路の周辺の美観つまり道の両脇何メートルかの常時美化や見える家屋等の景観などの整備も必要になるが個人や小組織ごとの努力には限界があるのである。
 

補足: いわさき、佐多岬に投資意向なしのこと

10月15日のニュースによると、14日佐多岬の在り方を探る鹿児島県など関係4者の懇談会が県庁で開かれそこで、いわさきコーポレーションは国立公園内での事業は規制が多く採算に合わないことなどを理由に今後投資の意向はないとして、今後の事業には県や国の積極的関与を求めたとのことである。鹿児島県一と言われる企業でも観光資源開発・地域振興には限界があるという証のように見える。


 
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