屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.275 献花台ドロのこと  (H20.07.17)

7月14日のあるTVの昼のニュースショー的番組で秋葉原無差別殺人事件現場付近に設けられた献花台に供えられた飲料ボトルを持っていく人間を、その放送局の人間を名乗る取材者が執拗に追跡しそういうことは悪いことだと執拗に認めさせようとする場面が放送された。

献花台ドロが悪いことは誰でも分かっている。しかしそれをTVXXと名乗って迫り執拗に追いかけ悪いことをしていると非難し反省の弁を言わせようとする姿に、安易な正義の受け狙いを見てしまう。くみしやすい相手に見せかけの正義で訓示をたれているようであまりよい感じはしなかった。

そもそも献花台ドロはなぜおきるのか。なぜ献花台ドロに執拗に追求するほど特別なことがあるのか。そういうことに何の言及もなく安っぽい正義を主張し視聴者を煽っているのではないのか。世の中にはもっとその真相や悪さを追求すべきものがあるのに安っぽい話題で視聴者の関心をそらさせているのではないか。私はその番組を見て名のあるメディアのそういう姿勢の方がおかしいという印象を持った。

供養のためであれば亡くなった人が供え物を利用することはないから、生きている人間が利用すればそれが供養というものではないか。私が子供時代田舎にいたころ墓参りをして供え物をするが、その供え物はあとでオコモサンが持って行っていたようである。それも供養ということだということで誰も怒ったりしたことはなかった記憶がある。

タバコをとったおじさんは仏さんが吸ったと思えばいいじゃないかと言っていたが、それで供養になるという寛容さも日本人の心の中にはあると思う。ボトルをとった人の中には計画的にみえるところもあったが、供養だと思って寛容に見ても良いのではないか。しかしそれはそれとして 飲食物については毒でも入っていて二次的事件発生の方が心配だから、供え物としては禁止するという観点の方が大切だと思われる。

また供養のためと言って、公道に不特定の人間相手に供え物をさせる献花台を設ける。それがおとり捜査もどきの仕掛けになっては供養にならない。やるなら管理をしっかりすることである。

はなし変わって、以下は大阪府の橋下知事のことである。7月16日だったかいろんなTV局で公用車でジム通いしたということが話題として取り上げられた。記者はさも悪いことをしているという口ぶりでの取材である。これもプライベートと公務の混同だという受け狙いの扇動的においがする。

24時間勤務とでも言うべき知事が、その合間を縫ってプライベートなことをする。そのプライベートなことをするための行き帰りとか、飯を食う、寝るその他プライベートな時間に移行する時間は公的と見てよいのではないかと思われる。何らかのプライベートな行動で公的利益を損なったり公的権力を利用したりしなければ問題にはならないと思われる。

アメリカ大統領は、別荘に静養に行くにも専用機や専用ヘリを使う。大事な人間だからプライベートな時間でも警護がついている。知事だって迎えから送りまで警護がついているのではないか。プライベートな行動の中身に問題があればそれを問題にすべきであって、その前後の移動については公的と見てよいものと思われる。24時間勤務を求めながら、プライベートなことをするために別に私用車を用意しておいて自分で運転して行けとでも言っているような取り上げ方に、名のある報道メディアの姿勢が気になったことである。


 
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