屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.273 屋久島(147):草払いでそしること  (H20.06.30)

毎年6月末か7月初めのころ、集落一斉の農道草払い作業が行われる。班毎に持ち場が決まっていて原則各戸一人づつ参加する。私のいる班では時に新入の人がいるものの大体は同じような人たちが毎年参加する。そして班の区域も広いから家の周辺の時々話をする人は別にして、大半の人たちとはほとんどはなしをすることもなく散歩や車のすれ違い時に会釈する程度である。草払いはそういう人たちと年に一度近くで接する機会である。そういうところでも私の悪い癖が出て、ちょっと引っかかることがあるとひとこと言ってしまうのである。

今年の草払い当日のことである。また嫌われることを言ってしまった。草払い機は素人が持っているのは大体混合油を使用する2サイクル機である。そして前日に区の方から班長に事前に渡される燃料は混合油である。ところがある一人の長老格の人は馬力の強いガソリン使用の4サイクル機を持っていて例年それを持参する。

ところがガソリンは用意されていない。そしてガソリンがいると言われて班長がガソリンを調達しに行ったかあるいは行かせられたからか、作業開始時間に班長が不在になってしまった。開始時間がやってきて長老格のその人がこういうやり方で行こうと先ず口を切った。仕切る気はなく好意的に言っているのだろうが、班長を走らせてのことだからひっかかった。班長がいてもそういうことを言うのだが、私はまずは班長のやりたいようにと思うこと毎年だったからである。

今年は2サイクル機を4人が持ってきた。もうガソリン機でもなかろうにそのために走らされ作業開始時に班長不在である。そこで私は、来年からその草払い機は持ってこない方が良いと言い、また仕切言葉と思えたやり方と違うやり方をわざと主張したのである。一つの機械の仕様違いで班長が走らされ開始時に作業指示ができないのは困ったことであるとその人に気づいてほしかったからである。その気持ちは通じたかどうかは分からない。多分私のことをみんなの言うとおり嫌な奴と思ったかもしれない。

2年前の草払いでも引っかかることがあってある人をそしったことがある。それから4ヶ月くらいあとのこと、その人に歯医者で出くわしその件で非難を受けた。これはあくまでも自分の捉え方によるものであるが、私サイドから見た当時の状況は以下のようである。

その年は班員参加者が端の方は互いに見えない道に散って草払いしていたのだが、その道の一方の端に近いところで私は作業していた。ある人が他の方から歩いて来て私の左隣近くにいる人を誘って道にしゃがみ込んで話を始めた、しばらくしてもやむ気配が無いので私は班長から休憩の指示が出たのかと思い右隣の人に休憩かもしれないと声をかけ休みの体勢に入った。しばらく休んでいたら離れた方からは作業の音が聞こえてくる。

そこでさっきやってきた人に休憩じゃないのかと問えば、向こうで作業を目いっぱいやったから草臥れたから休んでいるということである。みなは作業しているのに人を誘ってサボっている状況に見えるから私は自分中心の判断で勝手放題するのかとそしった。普段ならそんなことはしないのだが、つられて自分もサボったような形になったのに腹が立ったからである。そうしたら二人ははなしを止めて散り、私は作業を始めたのである。しばらくしてから休憩の指示があったのだが、そのときの私の言動を非難されたのである。

彼の言い分は、俺は体調が悪かった。向こうでめいっぱい作業して草臥れ休んだらと言われ休んでいたのである。もう少し人に思いやりを持てということである。私も体調はよくないが黙って作業している。わざわざ離れた方までやって来て人を誘ってサボるように見えるような行動はおかしいと反論すると、あいつも体調がよくないのだと言う。あんたの事情を知らなかったのは謝るが、自分に都合のよいことばかり言っているのではないかと 言ったら、それでみんなに嫌がられると捨て台詞を言われてしまった。

以来と言うより、ある人の捨て台詞から判断すれば多分それ以前から、近所では嫌な奴というはなしが巡っていたと思われるが、今年はまたそれに上塗りしてしまった気がする。お互い自分のことは棚にあげて似たようなことはやっているはずである。自分が引っかかることはお互いに素直に口に出す。それでこそお互い負い目のないコミュニケーション が可能である。その理屈は分かっていても、私も含め大概の人は自分がそしってもそしられることは想定外だからそしられると嫌な感じがするものである。それを分かっていながら悪い癖が出て、ちょっと引っかかることがあるとひとこと言ってしまうのである。


 
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