一般に朝礼と言えば、訓示と質疑や意見交換が一般的だと思われるがけんか腰でトップを批判するのは大分違和感がある。普通なら職員はトップの言葉がちょっと悪くても言わんとしていることの真意をくみ取って建設的な対応をするものである。私の見るところあの職員には初めから敵意が有ったように見えて仕方がない。それも職員の悪弊を守ろうとする勢力に操られている人間に見えて仕方がない。
私が初めて就職した会社は労働組合が出来て間もない会社だった。労使ともにまだその関係に慣れていないようで、私の入社前にストがあったとき会社側が官報を見ていないで大騒動になったらしい。外部のどこかの組織の指導で組合が活動していたようである。私の職場にいた労組幹部は定時終業時刻の10分か15分あるいはそれ以上前だったかもしれないが、シャワーを浴び着替え退社の準備を始める。終業時刻には会社を出る。それが終業時刻の定義だとの主張である。
大阪府の件の職員のはなしを聞いたとき、私はこういう思想を持った勢力が抵抗しているのではないかと思ったのである。破綻組織のトップが変わって求められている改革のために自分の組織の悪さを認識しようという意識よりも自分たちのやり方を非難されているという被害者意識の方が強いのである。私はある大きな会社にいたとき関連会社に出向したことがある。その会社で始業時間5分前に朝礼を開始し始業時間には仕事にかかるようにしようというはなしになったことがある。職場の自発的活動としてのはなしではあるが、他の職場では実施されたのに私のいた職場の組合役員が時間外だと猛烈に反対してだめになったことがある。
大阪府の件の女子職員は労働者・労働者と職員の立場を言いつのっていたが、労働者はその持ち場立場で受け身の労働一本槍から組織を動かし成果を追求する仕事までその範囲は広い。大むかしの活動家のような労働者とそれを搾取する資本家みたいな対立意識では今は対応できない時代ではないかと思われるが、そういう勢力が大阪府にまだかなりいるのではないかと想像させられる。