屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.252 それはないのこと    (H19.09.24)

先週妻は息子夫婦に子が生まれたので顔を見に出かけていた。いつもは妻が毎朝仏壇に線香をあげているのだが、不在の間何もしないのも気になって私も線香を一応あげていた。そして次の日曜23日は彼岸の中日である、そう思ったら何となくむかし死んだ親しかった男のことを思い出した。そしてまた今は疎遠になっているもうひとりの男のこともである。

私は親しかった男が死んでその悲しさを味わったその後で不快な気分を味わったことがある。死んだ男とその奥さんとその再婚相手の男に対してである。おまえがだめだったから男は死に自分たちはこうなることになったのだというようなことを、私がそれをなんとも感じないお人好しと思ってか面と向かってそう言われたのである。馬鹿にされても怒ることもなくやさしく生きるのだと言ったりしている私だがいささか内心面白くなかった話である。

彼が死ぬ前のある日、彼の奥さんから夫の様子がおかしいから一回会いに来て欲しいと電話があった。会いに行くとうつ状態で出社するのが苦痛のようである。転勤してニ三ヶ月のころで、奥さんにせっつかれて家を建てる計画を無理してやろうとしていたのに加え、新職場である特命業務を任され気負いだっている割に進捗はかばかしくない。そして自分のプライドと折り合いがつかなくなってうつ状態になったのではと見うけられた。

退職して奥さんの実家の家業を手伝おうと資格を取る勉強をしていると言う。逃避するために勉強すれば道は開かれると思いこんでいるようである。しかし奥さんの実家頼みでいても相手から助けが来るわけではない。ウジウジしているから奥さんの実家も適当にあしらう。それでさらに落ち込んでしまうという状況もあるらしい。

本人に話しを聞こう、話してくれればなにかの役に立つかもしれないと言っても自分の挫折を認めたくないからか、なんでもない、大丈夫だ、話すことは無いの一点張りである。私はひとりでつらい気分でいるより医者に相談したらどうか、気力が回復してから相談にのると言ってあとは奥さんに託して帰るしかなかった。そのあと奥さんが説得して病院に連れて行ったら入院ということになったが、本人は入院したら出世に差し障るといやがったそうである。

彼は二ヶ月くらいして退院し一月くらい自宅療養してから職場復帰した。その後相談があると言うので会った。退職したいと言う。また奥さんの実家の家業関係の勉強をしていると言う。私は入院前の精神状態と変わっていない、自分の現実を認めればリカバリー出来る。気力が回復するまで待って結論を出したらどうかと言った。そして別れたのだが彼はその夜自殺してしまった。

さて、その後に味わった不快感のことである。病院の医師は退院してすぐ自殺する人が結構あると奥さんに言ったそうである。退院してすぐ自殺するということは退院するほどに直っていないのに退院させたということではないのかという思いもある。また職場の対応が良くなかったのではという思いもある。本人が病み上がりで気力回復せず弱気の発言をするとハッパをかけられてつらいと言っていたそうである。しかし私の言うのはこれとは別のことである。

私が取り仕切った葬式も終わって一月くらいたったときのことである。奥さんが書置きを見せてくれた。その中に私とは違うもう一人の男を頼りにせよとある。その男は私より年下の独身で、前述の経緯の中で私と行動をともにしていた人である。そしてその時は私に対応を任せ何もしなかった人である。

死の直前の相談で私が相手の意に反する対応をしたからそう書いたのではと思わぬではない。しかし私は不快になった。そう言うなら始めからその男に相談したら良いじゃないか。奥さんも葬式のことはその男と相談すればよかったじゃないか。奥さんはなぜ私にこれを見せるのか。夫が死んだのはおまえのせい、おまえを信用しないとの宣言としか思えない。

私は死んだ彼が追いこまれたのは、奥さんが実家の近くへの転勤と家建設をせっついたこと、そしてそのタイミングに新職場での特命業務が重なったためであると私は思っている。私ははじめに相談があってから死ぬまでに彼には数回会っただけ、時間にすれば半日もないのである。ともに暮らす奥さんが助けにならぬものを私が助けられたとも思えない。家庭の中のことは私には良く分からないが責任転嫁されているようでなんとも苦々しい経験だった。

このはなしには続きがある。葬式から一年ちょっと経ってのことである。もう一人の男が件の奥さんと結婚すると言う。死んだ彼がおれを頼れと書き置きしていたそうだと言う。おまえもまた奥さんと同じか。なぜそういうことを私に言うのか。そう言うなら始めからおまえが相談にのってやれば良かったじゃないか。あいつが死んだのはおまえのせい、あいつはおまえを信用しないと言っていたと私に言っているとしか思えない。死んだ男とその家族にはことの発端から死んだ後の始末まで誠心誠意で接してきた私にはそれはないだろうという思いがいまだに抜けない。

仕事でも良くある。難しいあるいは人が手をつけたがらない課題があると黙って何もしない。人が苦労してやっとそれがうまく行くようになったり、人がやったら案ずるより産むが易し だったということ分かると、それまで手出ししなかった人間が、自分を無視してやるとか勝手放題にやっているとか難癖をつけて首を突っ込んできたり、ひどいときには乗っ取ってくる。私は仕事で結構そういう経験をしている。前述のはなしは私生活でもそういうことを経験したということを言ってもいるわけである。私はそういう目に会いやすい性格のようなのである。


 
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