屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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 No.249 原発の地震被害に思うこと  H19.07.29)

新潟中越沖地震で柏崎刈羽原発が被害にあったが、予想外の震度で直後の大事に至らぬようにする応急安全処置だけで手いっぱいで、優先度が低い箇所は後回しにしたのではないかと思われる。例えば変圧器の火災は煙が上がるからすごく見えるが、原発の致命的な事故防止の方が優先した結果と見ることも出来る。また初期の処置が出来てから順次被害箇所の点検にはいるので被害箇所が時間を追って多くなるのは当然のことのように思える。もし公表が制限されているなら現場の判断ではないと思われる。 世の中の至る所にある監視カメラが一ヶ所しかないというのもおかしいから多分そうである。

原発職員は多分現場では最善を尽くして致命的被害の拡大を防止する作業をしたのではないかと思う。原発の運転管理を本当にしているのは現場の職員であり、彼らは国や自治体、監視機関、国民、周辺住民の様に顧みて人を責めることが出来ない。そういう彼らの技術が現場の安全すなわち原発の安全を支えているのである。他に責任を転嫁できず自らももっとも被害を受けやすい場所にいる彼らは現時点で考えられる最高の技術を身につけているはずである。

大体、エリートで実務をしたことのない監督行政者やお偉いさんは細かいことが分からない。細かいことが出来てそれが積み上がって大きな仕事が形になる。それを理解しないから実際の細か仕事へのセンシティビティが磨かれないのである。見てくれや効率や費用については気にするが、現場で働く人が安全上気になる細かい事の軽重が分からない。

例えば断層が原発方向に向かって正に傾斜しているとか負に傾斜しているとかいう説が今論じられているが、アセスメント当時にも断層の危険の可能性について専門家の指摘はあったに違いない。建設したくてしようがない権力者・上層部が細かく調べる必要なし、これは関係ないとあっさり論議を切り捨てたに違いないのである。そして結果建設基準に適合していれば大丈夫とそれ以上の手を打たなかったということが考えられる。消防隊 の不備や消防車の未設置にしても同じような事だったのではないかと思われる。

私の卑近な例である。屋久島に移住してきてすぐホテルの設備管理の仕事に竣工以前からついたことがある。竣工直前問題点を出せと言われて私が指摘した一つに地下の機械室に機械搬入の露天ピットがある。人が中に下りるにはステンレス磨き丸棒のコの字の足かけはしごが垂直コンクリ壁に付いている。点検作業などで出入りするとき雨天のときなど滑って落ちる可能性がある。安全基準では背かごは付けなくても良い高さだが、私が背かごの取り付けを提案したら、本社のエリート担当者に簡単に却下されてしまった。案の定そこで何年か後に事故になった。同僚の一人が点検に行ったときに滑ってはしごから落ちて腰骨にひびをいらせ入院するという事故が発生したのである。

また私は仕事について早々、設備で外注を要するメンテナンスの計画を本社のお偉いさんに提案したことがある。そうしたらそのお偉いさんに故障したら直せばよい、金がかかるだろう、と言われてしまったこともある。以上のように卑近なところでも、かつては現場でならしたであろうお偉いさんや本社エリートは現場のものとはものの見方が違うのである。私は原発被害での社長などの言い訳は何か人ごとのような感じがして違和感があるが、現場の人の言い分についてはそういうお偉いさんのもとで最善を尽くしての発言と見てあげることも必要かなという気がするのである。


 
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