屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.242 前倒し辞職のこと  H19.04.23)

制度が変わってこの4月から地方議員の年金や退職金が今までより減額されることになっているのだが、先月それらの減額を避けるため任期を一月くらい残して任期満了前に前倒しして辞職する地方議員が結構出てマスコミで話題をにぎわした。地方議員のあり方や姿勢を問い、非難する意見がおおかたである。

しかし辞職議員はもう引退し次は立候補しないということだから、私としては何もする予定のないわずかな任期を残して辞職してもかまわない気がする。制度が変わった後、新しく就任する議員から新制度適用が本来というくらいに見て寛容になった方がよい気がする。

むかしのことだが、私は会社を8月に自己都合退職したことがある。3ヶ月くらい前に8月でやめると申し出た。7月にはボーナスが出る。だからそれを貰ってから辞めようということである。そうしたらボーナスが欲しいから8月にしたのかと非難された。私はそうだ、悪いかと反論したことがある。ボーナスの査定期間は夏ボーナスなら前年度の後期である。在籍していた期間が査定期間だから貰って当然である。支給日当日在籍していないと出ないと言われると面倒だから支給日以降に退職するようにしたわけである。私にいろいろ言った人も多分自分のことになれば損得で判断することが多いと思われる。

世間での一例だが、公的な制度に関連してもおおっぴらに損得が論じられている。確定申告はこうすると節税になるとか、年金か失業保険金かなにかが増えるから辞めるなら月のいつ頃にしろとか、TV番組や雑誌などで政治家や官僚のあり方や姿勢を問う一方で得する方法を紹介したりしている。年金分割ができるようになるから熟年離婚は制度施行後にした方がよいなどという話もあった。ほとんどが損をするより得をする方がよい、選べる可能性があるのにわざわざ損になる方を選べという話はないのである。

辞職議員を追いかけ回すレポーターや非難するTV番組の司会者やコメンテイターも、そしてそれに同調する視聴者も、自身損得判断で世渡りをしているに違いないのに、自分を棚に上げて言いたい放題である。上は国益、会社の収益から下は家計のやりくりまで損得勘定で動いているのである。私も前倒し辞職については少々自分の感覚と違うかという思いはあるし人と否定的な感想を交しあうこともあるが、これほどまでに社会的制裁を科そうとするのは行き過ぎの感じがする。

見方を変えれば何期も職責を果たしてきた議員が今期わずかの任期を残して辞任と言うことは、ほとんど全任期を全うしたと見てもよいわけである。それで引退するのだからご苦労さんとねぎらいの言葉をかけてしかるべき人ではないのか。悪人に仕立ててはかわいそうである。ほとんどの任期は減額前の条件下での任期だったのだし、前倒し辞任に寛容になってもよいのではないか。

責められれば反論しにくい人を責めまくるのを見ていると、人が得することへのやっかみを公然と非難という形で表に出すのを正義だと錯覚している感じがしていやな気分なのである。
 

付録: 定例記者会見のこと

これも政治がらみの感想である。宮崎県の東国原知事が定例記者会見は必要かと定例記者会見で発言して話題になった。これもおおかたが批判的に取り上げられていたように思う。私は定例記者会見不要論に与しはしない、当然知事もそうではないかと思う。TV番組のコメントで見識を疑うというようなことを言われていたが知事はそれを承知で世論喚起のためにパフォーマンスをしたのではないかというのが私の見方である。

記者クラブは閉鎖的であるといわれて久しい。クラブ記者限定の定例記者会見は不要かもしれない。知事の発言に稚拙とかみついたクラブ記者は、そのクラブ記者限定のという修飾語をわざと抜いての発言と見抜けなかったか、それと知っても自分たちクラブ記者の特権を守りたかったのか、どちらかではなかったかという気がしたのである。多分後者である。だから強烈に反応したのである。TVニュースで発言のやりとりの一部を見ての感想だが、特に発言を「稚拙」と決めつけて知事に向かって言うのは礼儀を欠いている。クラブ記者の傲慢さが世間にさらされて知事の目的は一部達成されたのではないか。


 
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