最近これと似た感じがすることがある。国を愛するべき、それを態度で示せという話である。国(その実態はよく分からないが、政治の産物のようなイメージがある)は愛してほしい、国は愛される価値があると言って、愛してくれていると見えないものを裁きそうな雰囲気がある。私は愛される価値のある女なのに私を愛してくれないなんて、そんな男は赦せないと言っているのと似た感じがある。
愛されるとは、相手が自分に対し愛する気持ちを持った結果である。恋愛で考えれば、こちらがいくら好きでも、相手がその思いに答えて自分を愛してくれるかどうかは相手が決めることである。これは世間の大体の人間は知っていることである。こういう自分だから誰でも自分に靡くべきという傲慢な感じが件の本のタイトルから匂うように、国を愛すべきと国が言うことにも似た感じがある。
愛されることばかり考えたり、自分の気持ちを分かってもらうことばかり考えている人間は、愛されなかったり分かってもらえなかったりすると、相手を憎んだり責めたりする気持ちに陥り易い。相手を愛していればあるいは相手の気持ちも考えていれば、通じなければ自分を省みるのが普通である。お互いがそういう気持ちを持っていなければ、愛は育まれないし気持ちは通じ合わない。しかし恋愛に見るようにお互いがそういう気持ちを持っていても実ることがない場合もあるのである。
以上改正されたといわれる教育基本法のある点についての報道を見ての感想である。恋愛の例えが分かりづらいかもしれないが、ついでに別の分かりづらい例えで感想を付け加える。持ち主に問われれば、あなたは美しいが一番美しいのは白雪姫と答える魔法の鏡の方が、必ずあなたは美しいと答える鏡より価値がある。魔法の鏡は本当のことを言うから恐いということも考えられる。