屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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 No.233 屋久島(129):お目に留まること  H18.12.18)

最近あるNPOから私のHPを見た。田舎暮らし事例を集めた本をPDFで出版する計画だが執筆応募しないかという案内メールをいただいた。団塊世代の田舎暮らしをしてみようかなというような人を主な読者対象として本を出そうというようである。私の場合は、何か思い込みがあってこんなふうにして満足な田舎暮らしができるようになったとか、こんな田舎暮らしをしているがどんなもんじゃいとか言えるような生活には縁のないただ田舎を住む場所に選んだだけの人間なので、応募しなかった。

田舎暮らしを題材にしたHPを出していると、たまにこういうことはある。過去にも一回さるHPに記事をとお誘いがあったが新たに題をいただいて書くのは自信 がないのでお断りした。今あるものを編集してもらうのなら、ない頭を苦労して使わずに済むので願ったりなのだが、まあそれに値するほどのこともないからそんな話は無いわけである。

そういうはなしとは別にHPを見て、一回会ってみたいとか話を聞きたいとかいう連絡をいただくこともある。大体の場合一回はお会いすることにしているが、たいそうな人間かと期待していたわりにたいしたことがないから、結果は多分幽霊の正体見たり枯れ尾花ということだろうと思われる。特に私から何か役に立つ答えを得ようかという人には物足りないだろうと思われる。私は田舎暮らしの奥義を窮めているわけではなく、HPでそのときどきの一歩一歩を断片的に紹介するくらいが関の山なのである。

私はあれがしたいこれがしたいということで屋久島での田舎暮らしをすることにしたわけではない。言うなれば無計画を計画として田舎で暮らしているだけである。それでも日々の行動の成果を具体的に意識できるから、その良否は別にして充実した田舎暮らしをしていると思っている。それは今までの生活の成果でもある。今まで自分なりに意地を通してきた生活のなかで自分の姿がなんとなく分かって来た感じがしたから、今までの生活をチェックしてこの田舎暮らしを始められたのだと思っている。

私が今までなんとなく生きて来て、ただ田舎に行けばなにかよいことありそうという思いで田舎暮らしをすることにしたとしたら、多分ここにいてもどこかによいところがあるという思いは抜けないかもしれない。


 
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