屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.230 やらせのこと  H18.11.20)

文部科学省の教育改革関連のタウンミーティングで「やらせ」が行われたということが暴露され、ズルをしない人間を育てようと言う文部科学省の役人がそれを主導するというさまにならない実態が明るみに出た。今回以外の過去のタウンミーティングの半数くらいは「やらせ」が行われていたという話もあるようである。

教育にかかわる公務員が率先して自分に都合よい場合は決まりを破ってかまわない手本を示しているのだから、教育基本法の改定論議の前に先ずはその状況を改革するのが先決でとは揶揄されたりしている。もっともなことである。

しかしこういう「やらせ」はむかしからあったと思う。今回のように白日の下にさらされる事態になったのは権力を持つものに油断があったからである。いじめと同じで人に分からないようにやるべきところをミスったのである。生殺与奪の権を握られれば「やらせ」 に加担するのを拒否できる者は少ない。そしてそういう権力は行政関係にとどまらないと思われる。集会参加に組織的動員をかける団体などをよく見かけるがそれらも根は同じ類と言ってよい。

私は会社時代権力組織となった御用労働組合の活動でそういう雰囲気を味わった経験から、似たような匂いがあれば警戒して見る癖が付いている。だから私は大体にして公聴会とか審議会とか協議会とかそういうものの成果は割り引いて見ることにしている。

また私はなんとか集会とかなんとか会議とかいうものも距離を置いて見ている。特にパネラーがいるものや参加者が選ばれるものはどのように彼らが決まったのかよく分からないし、多分主催者側がその主張を理解あるいは納得させるのが目的だからその方向に誘導するような運営すなわち「やらせ」らしきことが少なからず行われていると思っているからである。


 
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