屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.228 屋久島(127):投書のこと  H18.10.23)

私が時々行く病院に要望や意見などを吸い上げる投書箱がある。当初は投稿しっぱなしで、それがどう処理されているか分からなかったのだが、今年になってからだと思うが要望・意見などに回答が付けられて掲示されるようになった。

問題のないものは投書しないから、内容はクレームが多い。そして病院側もそれに対応の努力をしているようで各所で改善したと思われるところを目にする。しかしクレームに個人の名が出てくるような投書については、病院側で対応に苦慮しているのではないかと思う。

私も投書したことはあるが、病院利用で不便を感じたりすることへの建設的改善案以外はしないことにしている。医療行為についてはしないことにしている。口頭で言わないと真意が伝わりにくく、また欠席裁判の的外れの判決みたいなことになるとお互いに不信感を増幅すると思うからである。

だから私の投書は、冬場に長袖で厚着・重ね着をしているとき通路の血圧測定器で上腕で血圧を測るが負担である。脱がないとどうもうまく測れない。そこで機械で測るなら指とか手首で測るような機械にしてほしいとか、検査や入院・一泊入院で貴重品(大体は帰りに支払うための現金や免許証・車の鍵くらいだが)を入れたポシェットを持って回るのもわずらわしいし、手術のときに部屋に置いたままで大丈夫かと心配で、人に送り迎えやお金の運搬を頼むのだが、それが負担だから有料でもよいからロッカーを設置してほしいとか、そういう類の要望である。(前者の要望は精度面から却下、後者は検討するということだったがいまだに実現されていない。)

そういう私だから、投書とその回答の掲示板の感情的に流れ易い医療行為へのクレームについては割り引いて見ているのだが、6月ころ病院へ行ったとき見たもので、私の注意を引いたものがあった。

ある医師の誠実さを疑う投書である。うろ覚えでクレームの内容を具体的に言えないがその印象を例え話で言えば、サラリーマンの夫が同僚と飲んで遅くなり自分の家に泊まれと同僚を連れてきた。奥さんは体調がよくないかあるいは仕事を持っていて明日のことが気がかりである。それでもいらっしゃいと愛想よさそうに迎えるのだが顔は仏頂面である。そしてしばらくすると同僚の耳に陰で夫になんで連れてくるのよと言っている奥さんの声が聞こえてくる。その奥さんが医師で、同僚が患者というような感じである。

そしてその投書に対する当該医師の回答は、担当科の医師が一人しか居らず業務は多岐に渡る。一人一人への対応はそっけなくなることはある。離島でこんな医師でもいないよりは居た方がよいと思えというような感じだった。そして先日見たときには誰がつけたのか居たほうがよいと思えと言うあたりに?マークが付いていた。

それを見ての私の感想である。イラクの状況を思い出したのである。民主的な国づくりということには誰も異議を唱えにくい。しかし民主化のためにその実現で恩恵を受けるべき人々の犠牲はやむをえないということになれば本末転倒ということになる。投書の真意は医療の正義の名の下に患者を苦しめないでということである。ところが医師がその叫びにブッシュのように対応したから同じ思いの誰かが?マークを付けたようである。


 
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