屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.224 屋久島(124):友を失うのこと  H18.09.11)

いつも顔を合わせたら挨拶しあうのに、ある日会合で集まったときに見かけて挨拶をしても知らん顔をしてまともに顔をあわせない。なんか虫の居所が悪そうというか、胸に一物ありそうである。他の人とはにこやかに談笑して、私にはわざと無表情な横顔でお前なんか関係ないというような素振りである。

わざと無視するならそれで結構、それならと以来私もこちらから接触しないようにしたのである。2年くらい経ったか、ある日その彼から突然電話があって、自分が人に頼まれたのだが対応できないのでお前がやってくれないかとのことである。他の人には何の思うところもないから引き受けてやってあげたことがある。

そのあとすぐ、私は彼に知りながら無視をするのに自分の都合のよいときだけものを頼んでくるなんておかしいじゃないかと文句をつけてやった。そうしたら言うことには、居るのに気がつかなかったと言う。何を言っている、そんなに大勢ではなし、10人がそこらでそばに居るのに気がつかないなんて訳ないだろうと言って問い詰めたら、胸にあるものが見えてきた。

彼は客商売をやっている。似たような客商売仲間の人から、よくもう少し工夫をしろと言われていたのだが聞き入れなかったようである。その人がそれに業を煮やしてそんなだからあいつに(私にということ)子供が来ても彼のところはすすめないなんて言われるのだと私を引き合いに出して言ったらしい。

その人は料理について意見していたようだが、私は客商売なのだからもう少し気配りをして欲しいと気になるところがあって、我が家の娘などに勧めればきっと文句が出ると思っていたのである。常々気になっているのだが自分の思い中心の素人が商売をはじめると、お客の感覚を軽視しがちなのをしばしば見かける。そういうやることはやっていると自信たっぷりの人に門外漢が面と向かって意見を言いにくいのである。そこであるとき客商売仲間の人がもう少し工夫をしろと忠告しているのを見かけたあとで、私は思っていることをその仲間の人に言ってしまったのである。それを後日その人が自分の忠告を補強しようと、引き合いに出してしまったようである。

私は、面と向かって言えないことを、その人がもらしはすまいと思って言ってしまったのだが、余計なことを言ってしまった。言ってやりたいと思っても面と向かって言えない雰囲気に、陰口をたたいたらその一部の「それを言っちゃ〜おしめ〜よ」ということになる部分だけがめぐりめぐって、相手に届いてしまったのである。その後反省の意を込めて酒を一本持って行ったのだがわだかまりは消えない。


 
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