屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.220 屋久島(120):怖い思いのこと  H18.08.21)

妻が今年の人間ドック受診の際に怖い思いをしたはなしである。毎年検査を受けているその病院は最近医師の数も増えてきたからか、医師の仕事が特定の医師に集中しないようにしているようである。またそれはベテランの医師を育成していくための措置でもあるらしい。

ところが、まだ経験を積み大丈夫と判断されたとは思えない医師を現場に放り出すのが育成方法では困る。妻のある検査を担当した医師が検査を始めかけてうまくいかず汗をたらたら流して苦戦している。そういう検査で内臓に傷をつけ大事に至る事故もあるということだから、妻はどうなることかと気が気でなく、恐怖を感じたそうである。

補助の看護士がその様子を見かねて例年検査してもらっているベテラン医師に連絡し、来てもらって検査を交代してもらうことになったから、妻はほっとしたそうである。看護士が気を利かせて電話してくれなかったらどうなったかと考えると今でもぞっとするそうである。妻は医師を育成しなければならないのは理解できる。でも大丈夫とのお墨付きを与えるまではベテラン立会いで経験を積ませる必要があるのではないかと、心配していた。

泳げない人間を海に突き落として泳ぐようにさせるに似たことは、会社などでもよく行われる。しかし周りの人は見守っている。うまくいかないときは助けてやるが、仕事をする本人がある程度苦しむのは成長のために致し方ない。しかし件の検査の例では、育成される医師本人を苦しませると同時に、患者に苦痛や恐怖を与えている。

私はある年、今まで何回も検査を受けて安心感がある医師に代って他の医師から検査を受けたことがある。私はすごく緊張して固まってしまったから、終わってからその医師に緊張しすぎだ(やりにくかった)と言われたことがある。そのくらい慣れた手順が少し感覚的に変わっただけでも気になるのだから、医師育成には患者になるべく不安を起こさせない体制や方法をとって欲しいと願っている。

補足: 私が感じたところのこと  (H18.10.12)

私が数日前検査を受けた感じでは、大腸検査では内視鏡を挿入していく作業は新人らしき医師だったが、診断にかかわるプロセスになるとベテラン医師を呼んで交代し新人らしき医師は検査を見学するという体制のように見えた。胃の検査については、新人らしき医師が一人で行うのだが、今までなら喉を通過するとき喉の真ん中辺りに内視鏡先端を持ってきて飲み込む動作を促されていたのだが、それも無く口に入れたら位置決めもせずどんどん喉の縁をこするように挿入してくるので喉に傷がついてしまったようで検査のあとも一日喉が痛くつばを吐くと血が出ていた。


 
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