屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.218 「断片」ということ  H18.08.14)

当HPは名称を「My logbook: 屋久島生活の断片」としている。構成としては「屋久島生活の断片」という本編と「偏見ご免のたわごと編」およびその他からなっている。「断片」というのはこれら全ての内容にかかっている。

そして「HP作成雑感」ページの頭の断り書きには当HP作成に至ったきっかけについて以下のように記してある。

(以下転載)
そもそも私がホームページを始めたきっかけは、子供たちとメールのやり取りをしていたのだが時間とともに言うこともマンネリになり、互いにだんだん億劫になってきて事務的なこと以外あまりやり取りしないようになって来たからである。返事をしなくてはという強迫観念なしに気の向いたときに見られて、こちらの様子やそれとないメッセージも伝えられるだろうという気持ちからである。しかし他の効用もあるようである。
(以上転載)

また、「偏見ご免のたわごと編」最新ページ頭の断り書きに以下のように、自分の意見が権威あるものではないし、自分を誇るものでもないということを記してある。

(以下転載)
偏見ご免のたわごとは、私個人の独善的な印象を連ねたもので、人を中傷するものではありません。気に障られたらあの馬鹿がなんか言っていると受け流して下さい。なんとなく引っかかることとか腑に落ちないことが誰でもあると思いますが、それをストレートに言って自分の気を晴らそうとしているたわごととして見てください。
(以上転載)

当初「断片」という名称とこれらの断り書きだけで当HPの性質・姿勢が理解されると思っていたのだが、批判をいただくことがあって、「HP作成雑感」ページの「9.「断片」ということ(H15.07.30)」で当HPの姿勢を説明している。

(以下転載)
山を登るにはいくつかの道がある。道によって見える様相は違う。ということは、どの道を登ってみようかという人の意思によって、同じ山の印象も異なるということである。山についてはそういう論議に異論は出ない。しかし世間のよしなしごとについては、時に視野が狭いとか年甲斐もないとかその言動について批判がでるものである。そういう批判をする人もある視点や立場を前提としている、さらにその前提が他に優れたものと思っているわけである。

このHP「屋久島生活の断片」は「断片」ということに意味を込めている。人が見て考え思うことは、物事の断片でしかない。ここではその視点や立場を誇るものではないから、重厚さや正しさを主張するものではない。しかしある山道から見た眺めである。いろいろな道を登っている人の印象と合わせて見れば、その山の全体像が見えてくるかもしれない。そういう意味合いでこのHPのタイトルを「屋久島生活の断片」としているのである。
(以上転載)

「My logbook」という語句や上記転載の断り書きなどから分かるように、家の中で妻や子どもたちと会話するいろいろな話題やたわいない論議の延長がこのHPなのである。


 
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