屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編
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No.213 屋久島(119):団塊退職者誘致のこと  H18.07.17)

来年から団塊世代の定年退職が本格化するが、屋久町でそれを地域活性化のチャンスにしようという会議を立ち上げたそうである。6月下旬初回が開催されたようである。屋久町は、島外からの定住者の受入れには種々の問題や指摘があるものの、人口の増加や技術を有する移住者が来ることで経済が活性化する効果の方が大きいと考えて、会議を立ち上げたということらしい。

種々の問題や指摘事項は解決のめどがあるから、団塊移住者誘致の会議を開催したのなら屋久町もたいしたものであるが、以下会議開催の報道に接して本当かいなという感想である。

団塊世代移住誘致する、その目的は他にあらず過疎や少子化伴う人口減少に悩む自治体としては、移住による地元の活性化をめざすことにある。地方自治体にとって人口の減少は、収入減につながる。住民税が減少し、地方交付税交付金もその額を減らされる。団塊世代が移住してくれれば住民税収入が増え、地方交付税の交付額も増える。また、地元商店の利用者が増えるから経済が活性化する。それで、危機的財政を乗り切ろうというわけである。狙いは、退職世代についてくる金や持ち金である。

一方、移住者側から見れば、自然に恵まれ気候は快適、暮らしに便利な施設がそろっていて、人間関係がわずらわしくない、保健福祉施設は充実し、住民負担は少なく、交通が便利なところで、晴耕雨読・自給自足気分を満たしながら文明の恩恵を享受し文化的活動を活発に行いたい。団塊世代の見方として多分これで当たらずと言えど遠からずだと思われる。

そういう目で見ると、屋久町は既存移住者対応の窓口もなく、合併をしなければ立ち行かなそうな財政状況、自動車しか交通手段がない不便なところだから、晴耕雨読・自給自足の隠遁生活を誘致の目玉にしたとしたら団塊世代となじまないと思われる。また効果的な誘致策が実現できるのか極めて疑問である。多分誘致策が出来たとしても、それは移住者のことを考えてというよりは一時的な財政・経済効果を期待しての実体の伴わない言葉だけに終わる可能性が高い。

あるいは活動が成功して団塊世代の移住者が多く来たとしても、彼らに付いて回る金で潤うのは数年である。もう子供をつくれない団塊世代を受け入れても、近い将来、高齢化が更に進んで医療費や社会保障費がかなり大きくなる。定年退職者となれば、所得・収入があまりないし、税収も消費も思ったように伸びないと思われる。このような状況では数年後に、自治体は大きな財政負担を抱えることになってしまう。巷間よく言われていることである。

本当の地域活性化とは、難しいことだが働き盛りの世代が仕事にあぶれて流出して行かないで済むようにすることである。それを放置して団塊世代を呼び込んでも効果は一時的である。地域経済の将来を支える次世代人口を増やすためには、若者が働き場所を得て定住できるようにすることが大事である。この問題を避けては地方の活性化はない。これも巷間よくいわれている。一町村では無理だから地方自治体が連帯してどう県や国を動かすかの作戦会議こそ団塊世代誘致会議より優先すべきなのである。

一回こっきりの観光客誘致に似た団塊世代誘致を進めようとする地方自治体の方針は自分の首を絞めるものである。本当の地域活性化の視点を欠いている団塊世代移住促進活動は都会からこれから老人になる人を厄介払いすることに加担している一面がある。金目当てに一時的に団塊世代移住者を呼び込んだ果て、地方自治体は若者が少ない介護対象の老人ばかりあふれる町になってしまう危険をはらんでいるのである。巷間ではこういう施策で地方自治体は、痴呆自治体になるとかゴーストタウン化すると揶揄されている。

ところで、現実には期待するほど移住者が多くなるとは限らない。団塊世代は地方移住の問題点を理解しているから、軽々に自分のライフスタイルに制約のでる地方への移住ばなしに乗ることはないと思われるからである。屋久町も幻を追うよりは、まず地道な地域活性化を検討する会議を活性化させたほうがよいと思われる。


 
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